08/02/19 09:50:12 efgf6x+e0
>>756
続きもヨロ。むしろこちらの方が重要。
平成4年8月16日 皇太子と小和田雅子、東京・五番町の柳谷謙介・元外務次官宅でセッティングされた5年ぶりの再会デート。
平成4年10月3日 宮内庁新浜鴨場(柳谷謙介同席)で極秘デート、皇太子はあずき色のワゴン車に隠れて
東宮御所を抜け出して逢引したという手の込んだ工作だった。この場で皇太子はプロポーズをし、
雅子は「お断りすることがあっても構いませんか?」と返事を保留する。
『6月のプリンセス―雅子さんと皇室記者の2000日』読売新聞社社会部、読売新聞社1993、p49-50より
―天皇・皇后両陛下が山形国体の開会式出席などのため羽田をたった十月三日の昼前、皇太子さまは、後部座席を
黒いフィルムで目隠ししたあずき色のワゴン車に身を隠し、赤坂御用地の巽門を出た。運転していたのは側近の職員。
門を守る皇宮警察の護衛官も、皇太子さまが乗っていることには気づかなかった。ワゴン車の後ろには山下和夫東宮侍従長の
マイカー、ベージュの「カペラ」が続き、高速道路を経由して千葉県市川市に向かった。やがて二台の車は、新浜香鴨場に到着した。
―そこで待ち受けていたのが、小和田雅子さんだった。ここはふだん、外交団などの鴨猟接待に使われる。皇太子さまは
雅子さんと一緒に昼食を取り、野鳥が泳ぐ池の周りを散歩したり、輪投げをしたりして過ごした。そして最後にプロポーズをしたようだ。
―立ち会ったのは、元外務次官で国際協力事業団総裁の柳谷謙介氏や山下東宮侍従長などごく少数。皇太子さまが
東宮仮御所内にいるような偽装工作もほどこしたから、侍従たちでさえ、この秘密作戦には気づいていないはずだ。
平成4年10月20日ごろ OWDサイドから断りの返事がなされる。
平成4年11月28日 一旦プロポーズを断ったはずの小和田雅子、のこのこ東宮仮御所を訪問する。
平成4年12月12日 小和田雅子、またも東宮仮御所訪問、プロポーズ受諾の返事。
平成4年12月19日 皇太子と小和田雅子デートを重ねる。
平成4年12月25日 雅子、初めて両陛下と引き合わされる。深夜0時の遅くまで仮御所滞在。
平成5年1月6日 自粛申し合わせ協定が午後8時45分解除、マスコミが一斉に小和田雅子皇太子妃内定と報じる。