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<2008年版・「日本的なもの」への不快感>
本稿で使う「日本的」とは悪い意味である。不合理・非合理・情緒・許し合い・曖昧模糊・苛め,といった事柄
を「日本的」と総称している。日本のメディアに接すると,日本的な話題が日本的に報道され,何とも言えな
い気分になることがしばしばある。
筆者は報道を生業としているわけだが,そのことはいったん棚上げし,最近不愉快に思った「日本的なもの」
を巡る「日本的な報道」についていくつか書いてみたい。
日本的な話題の一例は,大相撲の元親方や関取が逮捕された事件である。少し前,モンゴルに帰ってしまっ
た横綱についてメディアは批判的に報道していたが,今回の事件が起きてしまった以上,「大相撲の精神は
やはり日本人横綱でないと継承できない」という言い方であの横綱を批判することはできない。そもそも大
相撲ばかり批判する訳にもいかない。旧日本軍で同様の苛めがあったことは知られているし,旧日本軍の
体質を継承した日本の企業や組織において,似たような苛めは起こりうるし,起こっている。
日本的な報道の別な例は,女性歌手の失言事件を巡るものである。事件というほどのことではないが,謝
罪会見をさせ,新譜の販促を控えさせるなど,結構な騒動になっている。確か大阪弁で話す歌手だったと
思うが,彼女の“失言”に対し,「あほなことを」と同じ大阪弁で笑い飛ばすわけにはいかなかったのか。
いわゆる一連の偽装問題とその報道もまったく日本的である。虚偽の記載をして消費者を欺くのは確か
にまずい。ただ,経営者を辞めさせようと「偽装に手を染めた」といった表現を多用する報道を続けてい
ても,なんら生産的ではない。なぜそうしたのか,そうせざるを得なかったのか,法律や制度上の問題
や不備は無かったのか,あったとすればそれはなぜか,といった事を追及したほうが真の再発防止にな
る。営業を再開した和菓子の店舗に,消費者が列をなしたのは面白かった。 (後半部略 URLリンク(itpro.nikkeibp.co.jp) )