08/02/11 09:34:50 0
・実在から非実在へ、聖徳太子像が大きく書き換えられようとしています。戦後歴史学がたどりついた
成果とも、真実追究の学問がもつ非情さともいえるでしょうか。
聖徳太子を知らない日本人はまずいません。教科書風にいえば、六世紀末から七世紀前半の飛鳥
時代、日本の伝統精神に仏教や儒教の外来思想を身につけ、日本の国力と文化を飛躍的に高め
世界の先進国入りさせていった皇太子です。
もっとも、一時に八人の訴えを聞いて誤りなく裁いたことから、八耳皇子と呼ばれたとの伝承や
生まれたときから言葉を話し高僧の悟りに達していたとの伝説、予知能力や中国の高僧の生まれ
変わりで、最澄は玄孫などの輪廻転生の説話などには訝しさを感じさせるものではありました。
誇張や粉飾があったにしても、実在と非実在では話の次元が全く違ってしまいます。ところが、
積み重ねられた近代の実証的歴史学の結論は「聖徳太子はいなかった」で、決定的らしいのです。
聖徳太子の実在に最後のとどめを刺したとされるのが、大山誠一中部大学教授の一九九六年
からの「長屋王家木簡と金石文」「聖徳太子の誕生」「聖徳太子と日本人」などの一連の著書と
論文、それに同教授グループの二〇〇三年の研究書「聖徳太子の真実」でした。
それらによると、聖徳太子研究で最も重視すべきは、日本書紀が太子作として内容を記す「十七条
憲法」と「三経義疏」。数多くの伝承や資料のうち太子の偉大さを示す業績といえば、この二つに
限られるからだそうです。
このうち十七条憲法については、既に江戸後期の考証学者が太子作ではないと断定し、戦前に
津田左右吉博士が内容、文体、使用言語から書紀編集者たちの創作などと結論、早大を
追われたのは有名です。
三経義疏は仏教の注釈書で太子自筆とされる法華義疏も現存しますが、これらも敦煌学権威の
藤枝晃京大教授によって六世紀の中国製であることが論証されてしまったのです。
(続く)
URLリンク(www.chunichi.co.jp)
※前スレ(1の立った日時 02/11(月) 03:29)
スレリンク(newsplus板)