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物語日本史 (上) 平泉澄
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11章 聖徳太子(下) 遣隋使
隋の煬帝が父の後を承けて王位に上ったのが西暦605年、我が国では憲法十七条の作ら
れた翌年に当たります。(中略)
煬帝は久しぶりに支那大陸を統一して意気揚々たる勢いで、年号も大業元年とつけました。
支那では自分を大国として、周囲の国を小国とし、小国は大国の前に屈従すべきものと考える
習慣があるので(いわゆる中華思想)、日本からの国書も必ずその様な内容または態度であろ
うと期待していました。ところが開けてみて驚いた。そこには
日出づる処の天子 書を日没する処の天子に致す。恙無きや。
と全く対等に書いてあるではありませんか。煬帝は不機嫌になって外務の役人に向かい、このよ
うな無礼な外交文書は二度と取り次がないように、と命令したことが、これは隋の歴史「隋書」に
明瞭に記されているのです。
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隋書に聖徳太子の書簡について記述があることだし、存在していたとして何の問題も無い。
というか、存在していたのが当たり前なのだが。