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不比等が影響力を行使したことを示す直接的な史料はない
藤原不比等の本来の諱(いみな)は「史」であることから、修史
に関係したと思われがちであるが、そのことを実証する確実な史料は
何もない。だが、不比等は708年(和銅元)右大臣に任命され、
『日本書紀』の完成時期には、国権の最高責任の要職にあった。『日
本書紀』の完成に不比等とその一族が大きな役割を果たしたことは容
易に推測できる。
たとえば、692年(持統6)9月、一族の中臣大嶋は神祇官の
長として『神宝書』4巻を献上している。『神宝書』とは、各神社の
神宝にまつわる神話伝承を記録したものである。708年(和銅3)
3月から図書頭で侍従を兼ねていた藤原武智麻呂は、図書経籍を検校
し、壬申の乱以来官書や巻軸が欠乏していたのを充実するのに尽力し
ている。
当時の廟堂における実力者であった不比等が『日本書紀』の最終
的な仕上げに無関心であったとは考えにくい。舎人親王の影の存在と
して大きな影響力はもっていたであろう。だが一方で彼は養老律令制
定の最高責任者として多忙な日々を送っていたはずである。養老律令
十巻が完成するのは718年、『日本書紀』完成の2年前である。そ
の時点では史書の骨格はすでに確定しており、撰述作業も最終段階に
入っていたと思われる。
不比等がその影響力を行使して、史実をへし曲げ架空の人物を創
造するよう指示したとしても、史書局が納得してその指示に従ったか
どうか疑問である。そうした影響力を行使したことを実証する確実な
史料は存在しない。