08/02/11 03:50:10 xGqczKqE0
ぶっちゃけ地家河内守作蔵の息子が明治天皇になった
新説
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証言の要旨は次の通り。
(1)山口県熊毛郡田布施町麻郷の大室家が南朝の血統であると言う伝説は
たしかに存在する。
(2)しかし、問題の大室寅之祐の「大室家」は西暦一八〇〇年頃に始まる。
(3)大室寅之祐の父親とされた(実は弥兵衛と寅之祐は血のつながりはないが) 大室弥兵衛の実子は早死にして居り、血統は絶えて居る。
(4)地家作蔵と結婚したスヘに四人の子供あり、その一人が寅吉、
この地家寅吉がのちの大室寅之祐と成る。
(5)スヘは、地家作蔵と離婚したのち、寅吉、庄吉と二人の息子を連れて、
大室弥兵衛の二号と成る(弥兵衛には本妻あり)。
(6)地家作蔵は、スヘとの間の二人子供を引き取り、その子孫が現存する。
従って、大室寅吉(寅之祐)は、地家作蔵の息子であって、大室家の血統ではない。
この説を取るとすれば
[海賊某] → [地家河内守作蔵] → [(大室寅之祐)明治天皇]
と成るわけである。
つまり、大室寅之祐=明治天皇は、南朝の血統とは全くの無縁である、と言う。
鹿島氏の著作には、「地家」家の話が出て来ない。
これは、もちろん重大な見落としであり、欠落である。
これでは、そもそも「明治維新=南朝革命説」が成り立たない。
寅吉(寅之祐)が母スヘに連れられて大室家に入ったのは、
五、六歳の頃、とある。
この人物(のちの『明治天皇』)が、そのときの事情を、正確に認識して居たか
どうかは分らない。故鹿島氏の業績を評価する上で、ここのところは核心であろう。