08/02/11 04:18:48 U3/LGeka0
>>176
じゃあ
211 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2007/07/19(木) 22:25:29
>209続き行くぞ
まず、大山師は、『実名の「厩戸」の呼称の由来については諸説あるものの、生年の干支(574年)に基づく可能性が高いから、
敏達3年の生まれとしてよいであろう。』と実にすらりと通り過ぎる。聖徳太子研究に少しでもかかわった人なら、この文章の
素っ気無しに驚くだろう。何しろ、厩戸の意味については、①生年説以外にも、②蘇我馬子の名との関係を説く説、
③キリスト生誕由来説、④地名由来説、そして⑤扶養担当氏族説と様々有る。生年説は、敏達三年の甲午の生まれとする(574年)
もので、多くの書籍で太子の生年とされている誕生年は、ここから来ている。だが、実は文献の何処を見ても午年生まれなどという記述はない。
太腿(だいたい)午年生まれなら、「午の皇子」でいいわけで、「うまやど」の半分しか説明していないじゃないか。
さらに、当時何処を見ても干支を冠した人名なんかない。そんな習慣、とてもあったとはいえない。
このように、大山師は、自説の対する反論には実に冷淡である。