08/02/11 03:35:08 xGqczKqE0
明治天皇の正妻は「昭憲皇太后」です。この名前にキーワードが隠されているのです。
天皇の后妃ならば、本来、「皇后」と付けるべきです。つまり、この場合、「昭憲皇后」と言う訳です。
しかし、実際には「天皇の母」や「先帝の后妃」に付けられる「皇太后」の尊称が付けられています。
更に、明治天皇の子・大正天皇の生母は典侍だった柳原愛子(なるこ)です。なぜ、明治天皇と
昭憲皇太后の間に子供が出来なかったのでしょうか? 昭憲皇太后が子供を産めない体だったのでしょうか?
私は決してそうではなかったと思います。
孝明天皇─睦仁親王(本来の明治天皇)
┃
昭憲皇太后
明治天皇(大室寅之祐)
┠────大正天皇
柳原愛子
もし、上記の様に、昭憲皇太后が睦仁親王の正妻だったとしたらどうでしょう? 明治天皇(大室寅之祐)と
昭憲皇太后との間に「関係」がなかったとしても、別段、不思議ではありません。むしろ、その方が自然で
はないでしょうか? 自分の夫を暗殺され、更に夫の名前を語って即位した者に、体を預けるでしょうか?
現在よりも「女の操(みさお)」を大切にしていた時代の事、尚更です。昭憲皇太后は終生、御所内に「幽閉」されたも同然で
あったのではないでしょうか? 又、こう考える事で、初めて「皇太后」尊称の意味が通るのです。
「明治天皇」にとって、短命だったとは言え、「睦仁親王」は孝明天皇より皇位を継承した「先帝」です。
その先帝の妻だったからこそ、「皇太后」なのです。そして、柳原愛子こそが、明治天皇にとっての本来の「皇后」だった訳です。