08/01/28 22:45:22 0
「KY」(空気が読めない)という言葉が若者たちの間で流行っていると聞く。もともとは
「空気を読め」の略語として使われていたのが、「あいつはKYだ」というように、「空気が
読めない」という意味で使われるようになったらしい。
最初に聞いた時から、何だかいやな感じがした。自分は使いたくないと思った。素直に
受け入れられないのは、日本文化の中の「ピアプレッシャー」(仲間たちからの圧力)の
強さを思い起こさせるからである。日本人は個性が乏しいと言われて久しい。学校や社会で、
「周囲と同じにしろ」「空気を読んで、それに合わせろ」という同化圧力が強すぎるのが、
いろいろと素晴らしいことも多い現代の日本文化の最大の欠点の一つである。
若者が「KY」などということを言うのは、世間の同化圧力を敏感に受け止めてのことだろう。
その意味では、世の中にうまく適応しているともいえるが、問題はその結果どんな社会が
できるかということである。
人間は年齢を重ねると、どうしても保守的になるものである。しかし、若いうちからそうでは困る。
本来、新しいものをつくろうとする機運に満ちているはずの若者が「空気を読めない」などと
お互いに揶揄しているようでは、この国の将来は危ない。
ところで、「空気を読む」ということ自体は、否定されるべきことではない。問題は、空気を
読んだ後で、どのような行動をとるかである。同化圧力に合わせるのか、それとも我が道を
行くのか。個性を大切にするアメリカ人だって、もちろん他人の心を読む能力はある。
個性が輝くかどうかの鍵は、空気を読んだ後にどうするかという点にある。
「KY」と気軽に口にする者に感じられるのは一種の怠惰である。空気を読んだ上で、
敢えて何かをするという気概が感じられない。空気を読みっぱなしにして、あとは無為に
じっとしている。これでは、新しい時代を切り開く新鮮な動きなど生まれようがない。
(※雑誌誌面から要約・抜粋した文章です。全文は読売ウィークリー誌面でご確認下さい)
ソース(読売ウィークリー2/10号、脳科学者・茂木健一郎氏) URLリンク(info.yomiuri.co.jp)
茂木健一郎 クオリア日記:空気は読めて当たり前
URLリンク(kenmogi.cocolog-nifty.com)