08/01/11 02:19:21 0
・戦争もなく、食料危機もなく、学校へ行けない物理的な理由もないというのに、そして
私流の判断をつけ加えれば、今日食べるものがないというのでもなく、雨に濡れて寝るという
家に住んでいるのでもなく、お風呂に入れず病気にかかってもお金がなければ完全放置
される途上国暮らしでもないのに、読売新聞社が昨年行った世論調査では30、40代では、
自分の心の健康に不安がある、と答えた人が40%にも達したという。
しかも多くの人たちが、原因を仕事上のストレスと感じているという。ストレスは、自我が
未完成で、すぐに単純に他人の生活と自分の生活を比べたり、深く影響されるところに
起きるものと言われる。
ストレスは文明の先端を行く国に多いのだろうと私は長い間思いこんでいたが、まだ残って
いる封建的社会にも実はあるのだと或る時教えられた。社会の常識が許しているというので
夫が複数の妻を持とうとしたり、同族の絆の強い共同生活に耐えようとすると、それが
やはりストレスになるという。
私は昔から、自分の弱さをカバーするために、いつも「足し算・引き算」の方式で自分の心を操って来た。
健康で、すべてが十分に与えられて当然と思っている人は、少しでもそこに欠落した部分ができると
もう許せず耐えられなくなる。私が勝手に名付けたのだが、これを引き算型人生という。それに反して
私は欠落と不遇を人生の出発点であり原型だと思っているから、何でもそれよりよければありがたい。
食べるもの、寝る所、水道、清潔なトイレ、安全正確な輸送機関、職業があること、困った時相談する
場所、ただで本が読める図書館、健康保険、重症であれば意識がなくても手持ちの金が一円もなくても
とにかく医療機関に運んでくれる救急車、電車やバスの高齢者パス。
何よりも日常生活の中に爆発音がしない。それだけでも天国と感じている。これが足し算型の
人生の実感だ。これだけよくできた社会に生まれた幸運を感謝しないのは不思議だと思う。
しかし人間は、教育し鍛えられなければ、このように思えない。子供は幼い時から悲しみと辛さに
耐えるしつけが必要だ。(>>2-10につづく)
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