08/01/10 21:45:03 0
(>>1のつづき)
平等は願わしいものだが、現実として社会は平等であり得ない。不平等な才能があちこちで
開花している。なのに完全な平等しか評価しない人間の欲求は心を蝕む。
叱る先生は父兄に文句を言われるから「生徒さまをお預かりする営業的塾の教師」のような
ことなかれ主義になった。事件があると、マスコミは校長や教師を非難するが、子供の成長に
誰よりも大きな責任を有するのは、親と本人なのである。生活を別にしている教師など、子供の
一部を見ているに過ぎない。
躾ける親も少ない。子供たちは叱られたことも、家事を分担させられたこともない家庭が多いという。
親たちも享楽的になっていて、来る日も来る日も家庭で食事の用意をするという人間生活の基本を
見せてやる親も減ったというから、人格を作る努力や忍耐の継続が生活の中で身につかない。
だからいつまで経っても、自分は一人前の生活をできる存在だという自信もつかない。この自信の
なさが、荒れた人間性を生む。
何より怖いのは、子供たちが本を読まないことだ。つまり自分以外の人生を考えたこともない
身勝手な意識のままの大人になる。本の知恵はテレビやネットの知識とは違う。
戦後教育は「皆いい子」と教えた。ところが人間性の中には、見事さと同時に底なしの身勝手さと
残忍さも共存している。このおぞましい部分を正視してそれに備えていないから、思いつきで人を殺す。
多分罪を犯したこじつけの言い訳だけは自分の中に用意しているのだ。今はDNA鑑定にも
何故か黙っているが、昔は指紋登録だけで人権侵害だと大騒ぎした人たちがいた。
言うことの筋が通らない。
人間は自分のためだけでなく、人のためにも生きるものだという考えは、すべて軍国主義や
資本主義の悪に利用されるだけだ、という人は今でもいる。人は自分独自の美学を選んで
生きる勇気を持ち、自分の意志で人に与える生活ができてこそ、初めてほんとうの自由人になる。
受けるだけを要求することが人権だなどと思わせたら、今後も不安と不幸に苛まれる人は
増え続けるだろう。今年は政治や社会がそのことに気づくかどうか。(以上、一部略)
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