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白人によるアボリジニ虐殺
白人入植以前の原住民(アボリジニ)の人口はおよそ30万人で、小集団を中心とする社会で、小集団に酋長はおらず、
当然のことながら国家組織はなかったが、長老たちを中心とする政治秩序は厳然と存在していた。
土地については、先祖の時代から決められた特定の領域を、季節の移り変わりに伴い、食料を求めて正確なサイクルにしたがって移動していた。
牧羊産業が盛んになり始めた1830年代から、白人とアボリジニとの対立は大きくなってきた。
牧草地拡大に躍起となった白人は、武力、暴力、アボリジニ女性の略奪などによりアボリジニ社会の解体を推し進め、
次々に土地を取り上げて行った。
その時の根拠とされたのは
ア.アボリジニは政治制度がなく、成文法も規律ある社会生活もなく、土地の所有関係をはっきりさせるものがないので、
土地は未開.未所有のものであるので、だれでも、自由に開拓してよい。
イ.神から与えられた土地を耕作せず、無為に放っておくことはキリスト教精神に反する。
と言うものであった。
19世紀から20世紀初頭にかけて、アボリジニは虐殺、毒殺、病気、社会解体により人口が急激に減少していった。
1930年代には6万人台までになった。
オーストラリアの東南部では、1840年代に純粋アボリジニは消滅し、1876年にはタスマニアでアボリジニは絶滅した。
大陸北部、中央部のアボリジニは白人と接触するのが遅く、絶滅をさけることができた。
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