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そのうちの一つは国民党中央宣伝処の曾虚白処長の自伝だ。自伝のなかで曾は次のように書いている。
「ティンパーリーは都合のよいことに、我々が上海で抗日国際宣伝を展開していた時に上海の
『抗戦委員会』に参加していた三人の重要人物のうちの一人であった。(中略)我々は秘密裡に
長時間の協議を行い、国際宣伝処の初期の海外宣伝網計画を決定した。
我々は目下の国際宣伝においては中国人は絶対に顔を出すべきではなく、
国際友人を捜して我々の代弁者になってもらわねばならないと決定した。ティンパーリーは理想的人選であった。
かくして我々は手始めに、金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由で
スマイスに依頼して、日本軍の大虐殺の目撃記録として2冊の本を書いてもらい、発行することを決定した」
こうして極めてタイムリーに日本断罪の書が出版されていった。公平な第三者の著作のはずが、
じつは国民党宣伝部の資金を受けていた人物によって書かれたものだったのだ。それが元になって
南京大虐殺説が生まれてきた。
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