08/01/06 09:59:36 O
・この一年、社会の流れがどのようになっていくのかを、少し考えてみたい。結論は「08年も、去年と
全く同じ流れになるんじゃないですか?」という、投げやりなものにしかなりそうにない。
社会の「同じ流れ」とはどういう流れだろうか?
それは既得権そのものが膨張し、他者との格差をもって、各自の現状が以降も確約された社会に、
今後もなっていくであろうという流れである。
よく「格差の拡大」ということがいわれる、そうしたなかで多くの「格差を問題にする人達」は、富裕層が
今まで以上に賃金を得る一方で、普通の家族を営んでいるような労働者が搾取されることに注視
しがちである。しかし、この考え方だけでは現状を理解することは難しいと、私は考える。
富裕層の収入が上がっているのに、普通の家庭の収入は上がらないという「量的な賃金格差」以上に
重要な問題とは、賃金そのものの価値が大きく膨れ上がり、もはや、賃金の多少のみで、人間の価値が
決定されかねない社会になってしまっているという、言うなれば「量的な賃金格差から派生する、人間の
価値に対する差別」という問題である。
堀江貴文は、その絶頂期に「世の中にカネで買えないものなんて、あるわけがない」というセリフを
残している。当時の世間は「すべてカネで買えるなどと、傲慢極まりない」と、大きく反発した。
しかし、この言葉にはもう少し続きがある。
「カネで買えないものは差別につながる。血筋、家柄、毛並み。世界で唯一、カネだけが無色透明で
フェアな基準ではないか」。
すなわち「金で買える」というのは、色のつかないフェアな計測基準としてのカネである。そしてこの
「カネ」を「賃金」と読み替えれば、まさに賃金は「人間そのものの価値に対する査定」となる。つまり、
より多くの賃金を得ている人間は、賃金を得ていない人間よりも偉いのだ。
年収1000万のサラリーマンと、100万円のフリーターを人として平等と見ることは可能なのだろうか?
最愛の正社員層パートナーと眠る女性は、ネットカフェ難民と一緒に眠ることができるだろうか?
(>>2-10につづく)
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