08/01/06 10:01:47 O
(>>1のつづき)
まさか、ご冗談を。
社会は賃金の多少によって、人間を差別しながら動いているというのは、明白ではないか。
多くの賃金を得るものがより多くを得て、少ない賃金しか得られないものは少ししか得られないというのが
駄菓子屋で買い物をする小学生でも理解しているであろう社会の真実だ。毎日の小遣いが100円の
子供と10円の子供は、決して平等ではない。
また、堀江の言葉には、もう一つ注目すべき意味が包有されている。
「カネ」によって、「血筋、毛並み」といった旧来の基準が相対化されていくことを、「フェア」だとしている点。
すべての人間に自由を与えようとするリベラリズムの思想は、多くの権威を相対化していった。たとえば
ネット上ではアクセスできるすべての人間の言論の機会が保証され、その一方で言論を世に発表する
機会を一手に握っていた文化人の言論は弱体化した。匿名のコメントが言論人にダメージを与えたり、
ネット初の小説などがベストセラーになることは、もはや何ら珍しいことではない。
しかし、ほとんどが相対化されていくなかで、唯一「カネ」だけは絶対的基準であり続ける。
そうなれば当然「カネ」の価値は高くなる。
「片やフリーターで年収100万、片や正社員で年収300万」という差異は、右肩上がりの経済成長が
信じられていた頃には「たまたま現在年収が100万と300万なだけであり、100万の人も、やがては
正社員になって300万を稼げるようになるだろう」ぐらいに思われていたはずだ、しかし現状では「年収
100万円のフリーターなんて、もうどうにもならない社会のゴミ」といった扱いである。
堀江はこうした現実を明確に表したに過ぎず、それは堀江の独りよがりではなかったと、私は考えている。
そしてこの堀江の言葉が発せられたのが、2004年。05年も06年も、そして07年も、人間の価値は賃金
のみで決まっていった。ならば当然08年も、人間の価値は賃金のみで決まる。同じ流れはこれからも続く。
「続かない」という可能性を、私は見つけることができない。
そして私は「去年と全く同じ流れになるんじゃないですか?」という、虚しい結論を出さなければならない。
(以上、一部略)