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かつてライブドアを率いていた堀江貴文は、その絶頂期に「世の中にカネで買えない
ものなんて、あるわけがない」というセリフを残している。この言葉に対し、当時の世間は
「すべてカネで買えるなどと、傲慢極まりない」と、大きく反発した。
しかし、この言葉にはもう少し続きがある。
「カネで買えないものは差別につながる。血筋、家柄、毛並み。世界で唯一、カネだけが
無色透明でフェアな基準ではないか」。
(中略)
年収1000万のサラリーマンと、年収100万円のフリーターを人として平等と見ることは、
本当に可能なのだろうか?
家族を養うお父さんと、30過ぎてもフリーターで働いているおじさんは、果たして同じ
だけの人間としての尊厳を得られているのだろうか?
最愛の正社員層のパートナーと一緒の布団で眠る女性は、リクライニングシートの上
で眠るネットカフェ難民と一緒に眠ることができるだろうか?
まさか、ご冗談を。
社会は賃金の多少によって、人間を差別しながら動いているというのは、明白では
ないか。
多くの賃金を得るものがより多くを得て、少ない賃金しか得られないものは少ししか
得られないというのが、駄菓子屋で買い物をする小学生でも理解しているであろう
社会の真実だ。毎日の小遣いが100円の子供と10円の子供は、決して平等ではない。
(中略)
「片やフリーターで年収100万、片や正社員で年収300万」という差異は、右肩上がり
の経済成長が信じられていた頃には「たまたま現在年収が100万と300万なだけであり、
100万の人も、やがては正社員になって300万を稼げるようになるだろう」ぐらいに
思われていたはずだ、しかし現状では「年収 100万円のフリーターなんて、もうどうにも
ならない社会のゴミ」といった扱いである。
堀江の言葉は、こうした社会の現実を明確に表したに過ぎず、それは堀江の独りよがり
ではなかったと、私は考えている。
(※抜粋です。全文はソース元でご確認下さい)
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