07/12/21 08:46:04 IdMNptIe0
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インディアン側は、ラコタ族、シャイアン族、アラパホ族の連合軍で、
ゴール、クレイジー・ホース、ツー・ムーンズらの酋長に率いられていた。
アメリカ連邦政府において、インディアンに対して宥和的政策をとる
グラント大統領に対し、インディアンに不信感を持つ反グラント派が
対立していた。
1874年、ミズーリ軍管区司令官フィル・シェリダンは南北戦争で活躍した部下
のジョージ・アームストロング・カスターに命じてインディアン聖地への遠征を
行うと、協定に違反した連邦政府にインディアンは不信感を強める。
1876年、陸軍相シャーマンはインディアン掃討軍を編成し、カスターは
第7騎兵連隊(英語)の連隊長として参加を許される。作戦はモンタナ州南東部
のスー族の本拠をギボン隊、クルック隊、テリー隊で三方から包囲するものであった。
中略 6月25日、カスターはリーノウ隊を渡河させて威力偵察を行い、リーノウ隊が
インディアンと戦っている間に独断で総攻撃を命じる。リーノウ隊を撃退したインディ
アンはカスターの本隊へ反撃、カスターは戦死、直属の225名も全員戦死した。
この一方的な戦況は虐殺として伝えられ、夫を神格化しようとするリビー・カスター夫人
の熱心な活動もあって、アメリカ社会では反インディアンの世論が高まり、
インディアンに対する武力掃討が行われた。
有名なものがウーンデッド・ニーの虐殺である。