08/06/28 02:37:52 5/zO8gRe
北 公次(きた こうじ、1949年1月20日 - )は日本の歌手、俳優、タレント。
1970年代を代表する男性アイドルグループ「フォーリーブス」のリーダーとして活躍。
グループ内での位置付けは、運動能力に優れた北公次は華麗なダンスやバック転でステージを彩る、トップ人気の看板スター。
1970年代半ば頃から『ボクは女学生』、『ボクは恋人』といったアイドルドラマ以外でも、俳優としての仕事が増えていった。
連続テレビドラマ『美しき殺意』(1976年、TBS)主演、第1作目に出演した元ジャニーズのあおい輝彦に引き続き、
石坂浩二主演の映画版金田一耕助シリーズ第2作悪魔の手毬唄(1977年)に出演、連続ドラマ版人間の証明(1978年、TBS)にレギュラー出演など、
北を大人の役者へ転身させようとする当時のジャニーズ事務所の意向が伺えた。
↓
フォーリーブス在籍時に、芸能誌や少女漫画誌の誌面で、他のメンバーに比べて歯が弱く、
常時虫歯が4~5本あるがなかなか治療に行けない事を語っていたが、
一時引退を経て1980年代に俳優として復帰した時点で既に総入れ歯となっていた。
↓
芸能界に復帰して俳優としてテレビドラマや舞台に顔を出すようにはなったものの、
単発ドラマに数本出演する程度の細々とした活動で終わっている。
1983年、北のファンであった金子正次のオファーを受け、映画『竜二』に準主演格で出演。
しかしその後の映画やテレビドラマにおける俳優の活動は1988年に制作・公開された映画『フライング飛翔』のみであった。
その後はデータハウスからジャニーズ批判暴露本連続発行で復帰、便乗してライブやイベント開催、CDアルバム発売なども続々と。
その後データハウスを出て無一文になるも、新たなるジャニーズ暴露本を出版したいと
出版社を募集、しかしジャニーズ事務所から口止め料を貰ってだんまり。
引退して口止め料でE戸川区にマンションを買い、喫茶店やブティックを開店するも
経営難となり、50代でポスティングや介護ヘルパーのアルバイトで糊口を凌ぐ毎日。
そしてジャニーズの温情により、ジャニーズ時代の看板に縋って再結成。
現在はジャニーズ時代の看板を掲げた途端に戻ってきたヲバヲタ相手の
集金イベント(お茶会)やグッズ販売が唯一の活動内容。
個人事務所社長の妻や子供を養い層化学会にお布施する日々。
そんな北さんのスレッドです。
(北公次近影 小さい画像ですら総入れ歯特有のウメボシじいさん状態の口元が確認できる)
URLリンク(www.kobe-np.co.jp) (2003年)
URLリンク(keiten.net) (2002年)
URLリンク(home.cilas.net) (2002年)
URLリンク(www.geocities.jp) (2007年)
前スレ スレリンク(kyon2板)
北公次信奉者で昭和ジャニーズマニアRaaichyについて URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org)