10/05/23 21:59:21 MoYFfdMe
>>647
キミは皇室の歴史を知らないね。伏見宮が大元で、そこから枝分かれしたの。
世襲親王家は桂宮家、有栖川宮家、閑院宮家があった。しかし桂宮家が断絶し、有栖川宮家も大正時代に断絶。
閑院宮家は明治の初期に伏見宮家の皇族が養子に入って継いだ。
新しく宮家を創設した北白川宮家、山階宮家、梨本宮家、久邇宮家、朝香宮家、東久邇宮家、竹田宮家等々は
明治維新の元勲たちが皇統断絶を防ぐために、出家・入寺されてた伏見宮家の男子を還俗させて創設したもの。
つまり、明治の典範では皇位継承権は実系によって継承される規定だったため、有栖川宮家が断絶すれば、
次なる皇位継承権は、伏見宮に移り、そのあとは伏見宮家の長幼の序に従って、継承される規定だったの。
でも、これは敗戦と占領で消滅したんで、愛子天皇でいいよ。