09/02/12 02:05:54 O
>>868
怨念めいた呪縛の言葉の羅列だな。
「自分が多少つらくても、腰痛くても頭痛くても」
まずあんたが自分の人生を生きろ。
「元気そうな子供の姿見たり声聞いてるとね、本当に嬉しいの」
親を喜ばせるために苦しくても"元気そうに見せないといけない"プレッシャーに苦しみます。
「別に感謝してくれたり、無理に気にかけてくれたりしなくていいの」
あなたは子供に「してやってる」ことで満足でも、子供は「何も返せない」プレッシャーで潰れる。
「苦労して育てた自分の子供」
恩着せがましい。
「悩んでる、行き詰ってる子供を見るのは本当につらい」
あんたが「つらい」。子供の悩みの解決に具体的なサポートができないか考えろ。
あんたは「こんなに親を心配させて」と暗に責めている。
886:885
09/02/12 02:07:39 O
「何とかしてあげたい、どうにかしてあげたい」
うるさい。どうせ何もできないなら、ボランティアでもママさんバレーでもパートでも自分のやりたいことやればいい。
親が無駄な心配してくれると、子供は無駄に親を心配させる悪い子になるだけ。
「でも、見守るだけしかできないのはつらい。 」
「苦しんでる姿見ると、心が張り裂けそうになる」
あんたがつらい。あんたが楽になりたい。
「子供の苦しみを取るために今自分は何をするべきか」と能動的には考えない。
「親なのに」
あんたは親だからとか親なのにとか子供のくせにとか
立場にすがってしかものを考えられない。権威主義者。
あんたはありのままの自分を否定し、ありのままの子供を否定し
「かくあるべし」という理想像から減点する形ですべてを見ている。
血の通ったオッチョコチョイな人間として、血の通ったオッチョコチョイな人間を愛する事ができない。
結局、親自身が自分の人生の主導権が自分の中になく他に奪われているから
子供の人生の主導権も平気で奪い腑抜けにしてしまうんだ。
自己犠牲なんて美しく無い。
内心の自由が無い人がすることは何をやっても人を不幸にする。
頑固な偏見で「○○でなければならない」と決めつけて自分の心も人の心も犠牲にする。
「アナタが強く生きてくれることが、お母さんは自分の命よりも大事です。」
弱さを受け止めてくれないあなたに子供は憎悪しています。
887:(-_-)さん
09/02/12 02:50:13 O
「お母さん、今僕は思っています。僕に故郷なんか、
なくなってしまったんじゃないかと。
そして、ひとつ残っている故郷があるとすれば
お母さん、それはあなた自身です。
あなたは、何から何まで故郷そのものです。
今、こうして静かに目をとじていると、お母さん、
あなたの声が聞こえてくるんです。聞こえてくるんです。」
『行ってこい!どこへでも行ってきなさいテツヤ。
おまえのごたあ息子が おらんごとなっても、
母ちゃん、なあもさびしうなか。
死ぬ気で働いてみろ、テツヤ。働いて、働いて、働きぬいて、
遊びたいとか、休みたいとか、そんなことおまえ、
いっぺんでも思うてみろ。そん時ゃ、そん時ゃ、テツヤ、死ね!
それが、それが人間ぞ。それが男ぞ。
おまえも故郷をすてて、花の都へ行くかぎりは
輝く日本の星となって、帰ってこいよ。行ってこい。どこへでも。』
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