08/10/28 04:08:58 Ju/0wTQ8
「クラシック音楽」ってのはってのは一種の弁証法でしょう。
それそのものが定義可能なのでは無くて、歴史の流れの中でこそ捉えられるものでしょう。
例えば現在にバロック様式で曲を作って見せても、それはクラシックの音楽とは認めがたいと思います。
ストラヴィンスキーやプロコフィエフの新古典主義はそこに新たな試みが加わってるからこそクラシックと言えるのであって、
そうやって過去の潮流に新しい要素、単旋律が複旋律に、そして対位法、機能和声、拡大和声、12音技法……と、
過去の音楽の潮流と新たな試みを止揚してきた過去があるからこそ、
その上に立脚したメシアンやブーレーズもクラシック音楽家と言えるんじゃないですかね。(現代音楽もクラシックだと考えた発言です)
だから過去における「クラシック音楽」は和声明快な古典派音楽でありえたし、
現代における「クラシック音楽」は複雑性の極みともいえるようなものでもありうる。
歴史の中でとらえなければ、バッハとクセナキスを同時に「クラシック音楽」と言い切るのはもはや不可能でしょう。
問題のアニバーサリーは形式面は超貧弱ですが、それをさておいても、オーケストレーションやピアノの扱いに何ら革新性はない。
せいぜい浪漫派あたりの単なる模倣に過ぎない。
それは、やはり"現代に於いて"という意味で「クラシック音楽」では無いのです。
だからと言って「昔ならクラシックでありえたからやっぱりアニバーサリーはクラシックだ」という論法は成り立ちません。
何故ならば、その「昔」の音楽という土台があったからこそ、
YOSHIKIは模倣という形でアニバーサリーを作曲できたからです。
逆説的ですが、常に「クラシック音楽の最先端」であること、それが「クラシック音楽」なのだと、僕は考えます。
YOSHIKI...Loveさんにはクラシックの背景知識が無いことがよくわかりましたので、
こういう難しい話は理解できないと思いますが、
僕自身はアニバーサリーはイージーリスニングという区分けが最も適当かと思います。
ちなみにポピュラー音楽というのは、クラシックでも民謡でもない音楽の超包括的な総称のことですから、
YOSHIKIの楽曲をどうしてもポップスではないとおっしゃりたいのならば民謡だと主張なさってはどうでしょう。
お返事ください。