09/02/19 00:13:55 IIj0Kbjx
豪州アボリジニ狩りと中国 残虐性に共通点あり
●谷底に突き落とす殺し方で…
オーストラリアが近代の歴史に顔を出すきっかけとなったのは、1776年の米国の独立戦争だった。
それまで米国というか、アメリカ大陸にあった英国植民地は、開拓民の送り込みの地としてだけでなく、
本国でさんざん悪さをした犯罪者の流刑地でもあった。
それが英本国の財政逼迫につき、アメリ力の植民地に印紙税をかけたのが発端となって
ついには独立戦争にまで発展した。
そして米国は独立する。英国は植民地を失ったのも痛手だが、
それ以上に困ったのが流刑地を失ったことだった。
それでオーストラリアが急浮上し、1776年以降、新しい遠流の地とされた。
しかし行ってみると気候はいい、冬の寒さも本国英国よりはるかにしのぎやすい。
先住民アボリジニはいるものの、いたって穏やかだし、最大の害獣が野生化した犬
ディンゴくらいで、毒蛇とか致死性の風土病とか、生活を脅かすものは何もなかった。
こんないいところを、犯罪人専用とするのはもったいない。英政府は1801年、
ここを安全で有望な移住地に切り替えた。
移住してきた人々は、それまでの流刑者とは違うという意味で「1801年以降の市民」と名乗った。
しかし、彼ら移住者の程度は流刑者よりもお粗末だったことを歴史は伝えている。
彼らは奥地に向かって開拓を始めるが、それは先住民の虐殺と同義語だった。
彼らはあらゆる殺し方をした。アボリジニの集落の飲み水に毒薬を入れたり、米大陸の
インディアン殺毅と同じに襲撃しては撃ち殺したりした。
しかし、最もポピュラーな殺し方は、丘陵地に住む彼らを1人ずつ谷底に突き落としていくというものだった。
羊と同じ、抵抗することを知らないア示リジニは黙って突き落とされていった、という。