08/11/21 10:42:52 /8HoIlO0
ヘンリーのWikiおもしろかった。訳しついでに。
・メアリーとヘンリー8世が愛人関係にあった期間は不明だが、
ヘンリー(息子)が生まれたころまでに別れていたと考えられている。
・同時代の噂では、ヘンリーはヘンリー8世の庶子だと言われていた。
10歳くらいのヘンリーに会った修道士達はヘンリー8世の婚外子だと信じて
いた、と当時のIsleworth司教代理が記している。
・ヘンリーが2歳(1528年)のときにメアリーの夫が死亡。
そのころは、まだアンとメアリーの仲がよく、アンが後見人としてヘンリー
とその姉(メアリーから見ると継子?)の面倒を見ていた。アンは姉弟に高度な
教育を与えていた。
・ヘンリーが9歳のとき(1535年)、メアリーは戦士と駆け落ちしてしまう。
ここでアンとメアリーは仲違い。アンは引き続き、姉弟の面倒を見続ける。
・ヘンリー10歳(1536年): アンの処刑
・ヘンリー17歳(1543年): メアリー死亡
・ヘンリー19歳(1545年): 結婚
・ヘンリー21歳(1547年): 政界入り
・ヘンリー32歳(1558年11月): ナイトに叙せられる
・ヘンリー32歳(1559年1月): エリザベス1世から男爵位を賜る
(エリザベスはブーリン家の親族を手厚く扱っていたそうだ)
…省略…
・ヘンリー70歳(1596年8月): 死亡
ヘンリーはぶっきらぼうで飾り気がなく、世渡り下手だったので、宮廷では
得な性格とは言えなかったが、人柄と軍師としてのすばらしい活躍で、
部下からの人望が厚かった。
死の床で、エリザベス1世は伯爵位を授けようとしたが、ヘンリーは拒否
してこう言った。
「陛下は私の存命中にこの栄誉に値すると思われなかったのですから、
死してもこの栄誉に預かる価値が私にあるとは思いません」
(誤訳御免)