08/10/06 04:38:10 +YMBcd4G
それから「死亡説」と「生存説」に分かれて意見を戦わすのも、少し違うんではないかと思うけどね。
元となっている「アキレスと亀」の話自体が、詭弁法のひとつであるわけ。
だから映画内登場人物のどちらを亀としてアキレスとするか以外にも、視点によって話が全く異なるといったような
側面が含まれていておかしくないと思える。
亀は絶対に遅い。そしてアキレスは絶対に速い。しかし視点や条件を変えればその関係は逆転してしまうのだ。
そういった両義性を含む有名な「詭弁」を元にしておいて、作品解釈がどちらか片方の解釈しかできない
ように作られてるとは余り思えないのだが。
芸人でもある北野は数学かぶれみたいな面を近年見せてたりもするようだが、「アキレスと亀」の話は
そもそも数学と言うよりも「詭弁」の話な訳で。監督自身は日頃数学にも凝ってはいるかもしれないが、
そこらを取り違えてはいないと思うけどね。
「アキレスと亀」の話をより理解しているのは、登場人物の誰かがどこでどのように追いつくかという話もだが、
それ以上に「視点による解釈の逆転」という両義性を含めて作品を作り出している場合ではないかと思うのだけど。
だから「死亡説」「生存説」どちらか一方のみを採り他方を排するのは、少し違うのではないかと思ってしまうのだ。
あっ、一応言っておきますが、
私の嗜好としては、基本的にはこういった「判じモノ的」映画作品は余り好きな方ではないです。
でも鑑賞後の気分は良かったな。満足できました。正規の映画料金分は十分にあった。
少し乱暴な言い方になるが、どの説を取って見たかによる私的満足感を映画料金換算したとすると、
生存説のみ=1000円、死亡説のみ=1300円、生存・死亡の両義含み=1800円+α。みたいな感じ。
まあ、前半の幼少期パートの「何、この巧さ!」という感動だけでも十分に元は取れる映画ではあるんだけどね。
特に巧みさが極く自然に見て取れる前半部分は是非映画館で見て欲しい。映像が堪らなく良い。後半も良いのを
ちょこちょこ挟んでくるんだけどね。あそらは解釈の鍵になっているのではないのかな。