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ベネチア映画祭が終わり、北野武、宮崎駿、押井守と、世界に通
用する才能を揃(そろ)えた日本勢は無冠に終わったが、北野武は
ベネチアですでに、金獅子賞(グランプリ)と銀獅子賞を獲得し、
自作の題名を冠した「監督・ばんざい!」賞の初代受賞者にもなっ
ているから、今回の参加は受賞をほとんど度外視した名誉出品と考
えてもよいだろう。
それにしても、今回の出品作「アキレスと亀」は途方もない映画
である。美術好きの父親に真知寿(マチス)と名づけられた男の絵
画三昧(ざんまい)の一生を描いた作品で、少年、青年、初老の真
知寿を異なった役者で描き、初老の真知寿はビートたけし自身が演
じている。
宣材の文章によれば、「売れない画家」と「まっとうに励ます
妻」が「人生にとって本当に大切なものを見つけた夫婦愛の物語」
ということになるが、これは宣伝戦略にすぎない。
かつて私は「DOLLS」の評で北野映画の「死の想念」の異様
な突出ぶりを指摘し、これは日本文化の、三島由紀夫などにも通じ
る、深い不吉な底流とつながるものだと考えたが、「アキレスと
亀」はそうした死の想念が偏執にまで至った、異端の、呪(のろ)
われた傑作なのだ。
真知寿が絵を描くたび、周囲の人々はほとんど無意味に死んでい
く。父母も、友人たちも、娘さえも。まるで、芸術に生きることは、
生きながら死の世界に入っていくことであるかのように。最後は一
見、ハッピーエンドのように演出されているが、私には、主人公が
死ぬ瞬間に見た一場の幻としか思えない。つくづく北野武とは端倪
(たんげい)すべからざる異能の天才である。(学習院大学教授
中条省平)