08/12/30 11:37:30 D9uXpcss
>>241
「在日だから日本の映画界を変えられる」 シネカノン代表 李鳳宇さん
(be朝日 2002/12/07)
近くて遠かった韓国が、この数年ですっかり身近になった。サッカーや焼き肉だけではない。映画の存在も大きい。 朝鮮半島の南北分断をテーマに、00年は『シュリ』が120万人を動員した。
01年には『JSA』が続いた。両方を配給したのが在日2世の彼だった。
作り手でもある。『月はどっちに出ている』(崔洋一監督)を9年前に制作し、在日社会の現実を「差別」のフィルターを通さずに見せた。タブーや常識に、とらわれない。
「日本社会のど真ん中から少し外れて生きてきたから」
その日本社会を、『のど自慢』(99年、井筒和幸監督)で、ほんわかと描いた。
仕事は、企画から監督や俳優の人選、資金まで映画づくりの全責任を負う制作と、配給にとどまらない。東京・有楽町、渋谷に三つの映画館をもち、上映も手がける。3役をこなす日本で数少ない映画人である。(略)
■国籍気にしない
―もともと朝鮮籍だったのを韓国籍に変えたんでしたね。
李 94年に韓国の『風の丘を越えて』を配給したくて、買い付けに行ったのがきっかけです。朝鮮籍だったので、48時間だけの臨時パスポートを韓国政府から出してもらった。
迎えてくれた映画会社の社長が北出身で、朝鮮戦争で南に逃れた人だった。それで意気投合して、夕方から朝4時まで冷麺(れいめん)屋で話し込みました。で、
その朝、契約書にサインして、昼には飛行機に乗った。欧州へ行くにも朝鮮籍だと渡航申請から3カ月から5カ月かかる。映画ビジネスでは致命的です。日本籍でもよかったけど、
取得に時間がかかるし、新日本人になるためのいろんな儀式が非常に屈辱的に思えたので、とりあえず何人(なにじん)でもいいや、と。
―南北両方を経験した立場から、日本人拉致事件をどうみていますか。
李 うちのカミさんも朝鮮学校を出ているし、自分たちが一時でも信じてきたものが何だったのかとよく話します。とても許せない行為ですが、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に行った経験から感じるのは、
いまだに戦争状態にあって、人々の緊張度も想像を絶するということ。拉致だけではなくて、もっと驚くような事実がいっぱい出てくるかもしれない。
―韓国籍になって、何か変わりましたか。
李 いえ、何も。韓国人とも思ってない。日本人に近いけれど、どこかの国に属しているというとらわれ方はしていない。選挙権とかいろんな権利がないのは不自由だけれど、何かをつくる、
クリエートする点では、どこにも属していないことで、自由に見られるメリットがある。在日という視点は何をつくっても、たぶんそこには生かされるんだと思う。
経 歴
1960年、京都市生まれ。
朝鮮大学校フランス語学科卒。
朝鮮新報社、徳間ジャパンをへて、89年、シネカノン設立。