22/07/01 09:42:08.74 .net
特定秘密保護法のときなど、「いざかやで政治談議をしていたらしょっ引かれる」などという、聞いている方が赤面してしまいそうな無知蒙昧な発信をしている人たちがいたが、その人たちが反省したとか、考えを改めたという話は聞かない。要するに護憲とは、彼らにとって宗教のようなもので、憲法は不可侵なのだ。彼らが憲法を変えたり、軍備を増強する代わりに用いる外交手段は「話し合い」という武器だ。しかし「話し合いオンリー」でウクライナはロシアの侵略を阻止できたか?と聞いても、満足な答えが返ってくるとは思えない。
アチラ側の人々と話のベクトルが決して合うことがないのは、彼らがその「話し合い」と「軍備増強(防衛費対GDP2%、反撃能力の保持)」をセットで考えることができないからだ。軍備増強を施行する人たちは、決して「話し合い」を放棄しようと言っているわけではない。むしろ、「話し合い」で最大の効果を得るために「軍備を増強する」という、建設的な考え方からきている。
「外交は右手で握手し、左手で殴り合う」ものと言われる。話を単純化すれば、「無断でウチの土地を盗みに来たら殴るぞ」というのと、「無断でウチの土地を盗みに来たら話し合うぞ」というふたつの警告のどちらが有効かということだ。
かつてあのルーピーが、「右手で握手しながら左手でげんこつを握れば真の友情は生まれない」と、安倍元総理の外交姿勢を批判した。この浮世離れした発想の持ち主が我が国の首相だったことを考えるとゾッとするが、リアリズムを欠いた政治家をトップに就けてはいけないという教訓として記憶すべきだ。この参院選も、宗教染みた護憲論を言い放つ政党、政治家は、真っ先に投票先の候補から除外すべきだ。
永田町に必要なのはリアリストだ。宗教信者は必要ない。