18/05/22 21:29:14.43 4121fg8H.net
続き
直居氏と松村氏の対立構図についてもサビアンで解釈することができるかもしれない。
松村氏には占星術を原理にもとづく知識の体系として統一的に説明したい欲求があり(天王星的な)、
というかそうしてきたので、その自ら育ててきた占星術の体系の中にサビアンを位置づけたいと考える。
そこでサビアンをエニアグラム等のOS(原理)の上で動作するアプリケーションとして扱おうとする。
こういった行為、つまり神秘の秩序化(知的に理解しようとする態度)にルディアや直居氏は反対する。
なぜなら、従来の占星術における進歩というものが、そういった知的営為によるものであったとしても、
まさにそれに対するアンチテーゼとして立てられたのが、サビアン占星術だったからである。
ルディアや直居氏はサビアン占星術を神秘の領域に置いておきたかったのである(海王星的に)。
神聖なものを知的に理解しようとすること自体が、神聖さを汚す行為である、のような考えなんだろう。
この対決は、水瓶座の時代と言われているから、表面上は松村氏が優位な立場になるのかもしれない。
しかし俺としては、それを良しとはせず、天王星と海王星のアウフヘーベンを期待しているのである。
つまり、矛盾や対立関係にある二つのものが、その矛盾や対立を保ちながらも、さらに高次の段階へと
統一または総合されていくこと、またその終わり無き上昇運動こそ、真の意味での進歩と考えるからだ。
というのが、牡牛29度に刺激されたとき、俺がとった行動や言葉の裏側にあったものだ。
すべてこじつけの妄想と言われるだろが、こういった作業も俺にとってはサビアンの検証作業と言える。