25/04/15 00:55:57.54 /FBfmyN6.net
ヅル「あとはなんか、あのそのジャンプを表現の一部に
する、みたいなことは特に、強く強く考える
ようになったプログラムが、やっぱ『SEIMEI』
からでしたね。やっぱりその、それこそ三番叟
なんかは、もちろんジャンプ跳ぶということ
自体にすごく意味があると思うんですけど、
僕らは、そのフィギュアスケートという競技の
中で、あんまりそのジャンプに対しての意味って
いうのを考えた事が多分無いと思うんですよね」
萬斎「それは点をある意味稼ぐということ?」
ヅル「(食い気味に)そうなんですよね、スコアとして
見てるところがやっぱ強くて。で後はまあ、
ある一種、まだその競技会ということに対して
勝ちとか負けるということではなくて、自分の
限界に挑む、みたいなスケーターもいるので、
ある意味ではその、限界のジャンプに対して
挑戦する、ぐらいなイメージしかない
スケーターもいますね。ただ、やっぱあの
『SEIMEI』という楽曲自体に、やっぱり
萬斎さんとお話しさせていただいて、どんな
物語が存在していて、全ての表現の型となる
ような振り付けが、存在していて、やっぱその
状態の中でジャンプを跳ぶとなったときに、
そのジャンプが成功するということが到達点では
なくて、ジャンプを成功させることは当たり前で
あって、そのジャンプ自体が通過点というか、
その表現するための要素として存在している、
だからジャンプを跳んでいるだけ、というような
形になっていったのは、やっぱ『SEIMEI』から
でしたね」