21/12/06 23:39:21.32 5nEM5WjK.net
公式サイト
URLリンク(www.toei-anim.co.jp)
放送期間1991年10月17日~1992年9月24日
毎週木曜19時~19時30分にTBS系列ほかで放映。全46話 TBS系アニメとしては史上初の『週刊少年ジャンプ』原作のテレビアニメである
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128:名無しさん@お腹いっぱい。
23/08/11 15:32:09.62 MmRgFR2B.net
ポップのメガンテまで持たなかったんだっけ
楽しみに待ってたのに
横島のバンダナ編を思い出すな
129:名無しさん@お腹いっぱい。
23/08/15 07:28:12.18 FcbDwS0E.net
読んでいてつらくなった…主人公サイドが「歴史的大敗」を喫した少年漫画3選
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
■大魔王からは逃げられない…!『ダイの大冒険』
堀井雄二氏(監修)、三条陸氏(原作)、稲田浩司氏(作画)による『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』。本作における印象深い敗北といえば、原作第204話~213話で描かれた「大魔王バーン戦」だろう。ゲームのドラクエにも出てくる「負けイベ」を漫画で見事に表現した、絶望しかない戦いだった。
魔王軍の本拠地に乗り込んだダイたち勇者パーティは、ダイの父・バランの犠牲の果てに、ついに大魔王バーンと対峙する。しかし、ついに訪れた勇者と大魔王の戦いは、あまりにも一方的な展開となるのだ。
バーンが片手をかざしただけでダイが倒されたことを皮切りに、「カイザーフェニックス」「カラミティウォール」といった必殺技の数々、遂にはダイの武器である「ダイの剣」が破壊される……。
大魔王バーンの力は、ダイたちだけでなく読者の心もへし折った。敵であるハドラーが救援に来なければ、勇者パーティは間違いなく全滅していただろう。
極めつけは、ポップがルーラで逃げようとしたら結界で阻まれて失敗するシーンだ。バーンがあざ笑うように告げた「……知らなかったのか…? 大魔王からは逃げられない…!!!」は、ジャンプ史に残る悪役名ゼリフのひとつだと個人的に思う。
130:名無しさん@お腹いっぱい。
23/08/24 08:55:28.86 A2tK7c+l.net
鳥山明もうひとつの代表作『ドラクエ』はなぜ生まれた?不思議なほど外部クリエイターとの縁に恵まれた<誕生の軌跡>
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
◆異端の編集者、鳥嶋和彦
これに加えて大きく関わるのが、当時の「ジャンプ」における鳥山明さんの担当編集者であり、『Dr.スランプ』に登場する悪役キャラ「Dr.マシリト」のモデルとしても知られる鳥嶋和彦さんです。
ライターとしての堀井さんにジャンプの読者ページやゲームの紹介ページを依頼していたのも鳥嶋さんであり、一種の「マンガ至上主義」に貫かれていた当時のジャンプ編集部のなかで、
「マンガよりゲームの方が好き」といってはばからなかった鳥嶋さんの存在は非常に異端でした。
堀井さんとのつながりから『ドラクエ』の企画を聞きつけた鳥嶋さんは「本気でRPGをメジャーに売っていくつもりなら、最初からジャンプと組んで企画を進めよう」と持ち掛けました。
これによって、『ドラクエ』は発売前からその開発過程を「ジャンプ」誌上でレポートされ、さらにキャラクターデザインとパッケージイラストを鳥山明さんが担当することが可能になったわけです。
当時すでに『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』で立て続けにヒットを飛ばし、誰もが知る国民的マンガ家であった鳥山明さんをこのように他社のプロジェクトに関わらせることは、普通であれば担当編集者がもっとも嫌がってもおかしくないことです。
それをむしろ積極的に進めていった鳥嶋さんの先見の明が、鳥山明さんにもうひとつの代表作「ドラゴンクエスト」をもたらしたといえるでしょう。
このように、ドラクエは、その製作段階から不思議なほど外部のクリエイターとの縁に恵まれていました。