21/04/29 07:03:41.53 CfDsnMeR.net
まあ、ファミリー視聴を前提にし、また輸出(とくにアメリカへ)
を意識していたので、親が死ぬ話にするのはやりにくかったんでしょ。
どう考えてもリボンの騎士の最終話はまるで妄想であって無理が
ありすぎますからね。死人の生き返りを天国の神がやれるというのなら
もうむちゃくちゃですよ。そう思いました。
またリボンの騎士の前の「新ジャングル大帝進め!レオ」でも
最終話はムーン山から(大人の)レオが死なずに生還するわけですが、
原作を小学館から出てたサンデーコミックスで先に読んで感動して
涙を流していた当時の子供としては呆れてしまいましたね。
手塚治虫は東映動画で西遊記を作るにあたって物語の最後で
悟空が長旅を終わって還ってみるとリンリンは病気で死んでいてという
忘れられない感動の悲劇の話にしたかったのに、当時の東映動画側が
猛反対し手塚を非難してよかったよかったに作り替えてしまいったので、
東映動画の旧態とした体制を見限って袂を分かち、自分の作家としての
作風を出せるように独自の制作システムを自分で構築しなくちゃダメだ
ということで、虫プロダクションを作ったのにも関わらず、そうして
確かに鉄腕アトムでは唐突にアトムを特攻させて殺す話にしてお終いに
して有終の美を飾ったのに、新ジャングル大帝進めレオ!ではそれが
再び、まるで東映動画のようになってしまったわけですよ。そうしてさらに
リボンの騎士でもそうなった。 このあたりとても矛盾を感じるのです。
作家の立場と経営者の立場が分裂せざるを得ない面もあるかもしれないけれども、
そこを譲歩したらダメだろうと思いました。
2000年頃に手塚治虫が亡くなった後に作られた劇場用のジャングル大帝では
きっちりとレオはヒゲ親父の手に掛かって死んでますがね。これはやはり
無念に思っていたであろう分の遺志を晴らしてという意味があったのでしょうか。