【ペリ子や】ペリーヌ物語28【適当にね】at RANIME
【ペリ子や】ペリーヌ物語28【適当にね】 - 暇つぶし2ch334:名無しか・・・何もかも皆懐かしい
21/03/06 17:57:18.83 .net
>>325
その後のペリーヌ(続)
55~60才 家族の絆編
(夫のファブリが倒れ、一時的にペリーヌが経営に復帰するも夫は死去。
 その後、息子を工場の社長に、娘を財団の理事長に就任させ、
 自らは会長になり三頭体制で切り抜ける。紡績工場は衰退期に入るが
 家族の英知により、化学、医療、食品等の新規分野への切り替えを
 積極的に行い、縮小しながら堅実な分野に事業転換を図る。
 同時に財産の大半を財団に移し医療、福祉、教育、平和活動にも注力した)
60~66才 社会福祉活動編
(ペリーヌは工場と財団の運営を子供たちに任せ、日常的には医師として活動
 していたが、戦争後の孤児や社会の恵まれない人達を救済したい意欲が高まり
 欧州全域で福祉活動をするようになっていた。病気で困っている人には
 自らの病院で治療し、仕事が無い人には職を与え、学習意欲のある人には
 奨学金を出し、能力のある人には研究職に就いてもらい、あらゆる困難から
 人々を救うため精力的に活動した)
66~70才 ペリーヌ平和財団編
(ペリーヌは人類に貢献した人のため恒久的な賞を設立、尊敬する母の名前から
 マリ・パンダヴォアヌ賞とした。そして入賞者の選考、基金の運用のため
 に専門のペリーヌ平和財団を設立した)
70~72才 インド巡業編
(高齢になったペリーヌは平和財団の運営を孫娘にまかせ、その他
 すべての事業から退く。そして最後の思いを胸にマロクールから
 生誕地であるインドのダッカまで旅をすることを決心する。
 内密に行動する予定だったが、同行志願者が次々に増え、スイスを超えて
 イタリアに到着する頃には1000人以上に膨れ上がった。
 この頃ペリーヌは聖母、救世主とも言われ、その姿に手を合わせ涙を流す者も
 多かった。インドに入る時は数十万人の大衆から出迎えられたほどである)


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