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その後のペリーヌ
14~16才 ペリーヌと家庭教師編
(ペリーヌと家庭教師との交流、マロクール改造計画進捗)
16~18才 ペリーヌのパリ留学編
(ペリーヌのパリでの生活、先進知識、異国の友達文化との交流)
18~20才 ペリーヌ社長就任編
(マロクール改造計画完了目指す、工場規模拡大方針)
20~22才 ペリーヌ結婚編
(副社長のファブリと結婚、ビルフランは会長職へ退く)
22~30才 工場躍進編
(戦争特需、復興景気もあり、従業員7千人が2万人まで増加、
フランス最大、欧州でも1、2位を争う大工場へと発展
その間、子供を2人産む、娘、息子)
30~36才 ペリーヌ引退編
(社長職をファブリに引き継ぎ、自ら会長職へ退く
若いころの夢であった医師を目指すためパリの医大へ留学
ただし、役員会議のため、月3回程度は帰郷)
36~50才 ペリーヌ医者編
(工場内の病院に勤務、やがて院長に就任
数年後、娘と息子を随時パリへ留学させる)
50才~52才 財団編
(工場衰退が見え始めるが、マロクール改造計画で造った
保育園、学校、病院、共同住宅、公園、遊戯施設等は
公共性が高く、パンダヴォアヌ財団の管理となる
ペリーヌが財団のトップに)
52才~ 晩年編
(工場と財団の管理を夫に任せ、息子が後継ぎ準備
ペリーヌは夫、子供2人、孫3人に囲まれ、幸せな毎日
晩年はパンダヴォアヌ病院の院長として、恵まれない
人たち優先の医療を実践、娘が医者になりペリーヌをサポート)