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爰に尾州勝幡の城主織田備後守信秀と云う人あり。
天文三年甲午五月二十八日嫡子誕生ありて吉法師と申せしが、これ後年の信長公なり。
天文五年吉法師三歳に達し、知能発育の最も大切なる時期なれば、然るべき乳母をぞ選ばせけるに、滝川左近将監一益は森寺藤左衛門秀勝とはかりて、護国公(池田恒興)の御母を推挙し参らす。
これまで吉法師に乳を進じけるもの、乳房をばかみやぶられずと云うことなければ、何れも務めを果さでありしに、此の母公の乳房のみは噛みやぶり給はざりきと云う。
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