岸田文雄首相、杉田水脈氏発言の批判避ける 参院予算委「政治家は自ら説明責任を」→説明がすべてヘイトスピーチで野放し状態 [188825441]at POVERTY
岸田文雄首相、杉田水脈氏発言の批判避ける 参院予算委「政治家は自ら説明責任を」→説明がすべてヘイトスピーチで野放し状態 [188825441] - 暇つぶし2ch955:番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です
24/03/26 05:16:14.10 CVopz+mCM.net
>>1これもう天安門事件よりやばいだろ🥺
日本軍、14歳前後の少年に法律を無視し親の同意を偽造し強制誘拐、爆弾を背負わせ人間爆弾にして戦車に轢かれさせ殺害した
逃げたり逃したら銃殺処刑にした

鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい)は、太平洋戦争末期の沖縄県において、防衛召集により動員された日本軍史上初の14~16歳の学徒による少年兵部隊である。
沖縄戦において正規部隊に併合され、実際に戦闘に参加し多くの戦死者を出した。
URLリンク(i.imgur.com)
沖縄戦で捕虜となった少年兵
防衛召集は、17歳以上の男子が召集対象であったが、1944年12月の陸軍省令第59号「陸軍召集規則」改正および第58号「防衛召集規則」改正で、一部地域のみ防衛召集の対象年齢が引き下げられた。
「前縁地帯」と呼ばれる帝国本土とは区別された地域(沖縄県、奄美諸島、小笠原諸島、千島列島、台湾など)に限り、17歳未満(14歳以上)であっても、志願して第2国民兵役に編入された者は、防衛召集できるとされたのである[4]。
これらの陸軍省令について、内務省は、「事実上徴兵年齢の引き下げにあたるので、法的には法律である兵役法の改正によってなされるべき」であるとして、憲法違反の疑いもあることを指摘していた。
また、「志願」は「事実上の強制」になりうることへの懸念も示していた[5](法律形式による法整備は、ようやく1945年6月23日に制定施行された義勇兵役法で行われた。
それまでは鉄血勤皇隊も含め陸軍省令で改正する規則のみが法的根拠であった)。
実際の手続きにおいても、17歳未満の少年を鉄血勤皇隊として防衛召集するには「志願」して第2国民兵役に編入された者でなければならないが、「学校ぐるみ」での編成ということ自体が強制の契機をはらむ。
さらに学校や配属将校が同意なく印鑑をつくり「志願」のために必要な親権者の承諾書を偽造するなど、「事実上の強制」であったような例も多々見受けられた[6]。
内務省の懸念は現実のものとなっていたわけである。
なお、県立第二中学校のように配属将校が食糧がないことを理由に生徒たちを家に帰したり、沖縄県立農林学校では引率教師が銃殺処刑される覚悟で生徒を家に帰したという例もあった[7]。

沖縄戦では、憲法違反の疑いもあるこれらの陸軍省令(改正規則)を根拠として、「事実上の強制」すらあった手続きにより、1945年3月に第32軍の命令で、
防衛召集された旧制中学生ら1780人による鉄血勤皇隊が編成され、戦闘行為に動員されて、約半数が戦死した(17歳未満の戦死者は567名[
アメリカ国立公文書記録管理局に保存されている資料のなかに鉄血勤皇隊に関する多くの文書が残されている[10]。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)
米部隊に「民間人(非戦闘員)」と扱われ「君らを捕虜にはしない。」などと言われ、民間人が保護されることも知らないまま絶望のため自決した者も出るなどの悲劇が起こった[12][13][14][3]。
URLリンク(pbs.twimg.com)
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鉄血勤皇隊は、不十分な装備のまま任務を遂行せざるをえなかった。
具体的には陣地構築、伝令や通信、さらに戦車への斬り込み攻撃を命じられた者もいた[15]。
戦車への斬り込み攻撃とは、木箱に10キロの黄色火薬を入れた「急造爆雷」を背負って戦車に体当たりして爆破するのである[16]。
装甲の厚い戦車車体ではなく、キャタピラの切断を狙って、轢かれるようにして爆死する。
そのためには体が小さいほうが潜り込み易いとの理由をつけて、鉄血勤皇隊の少年達が多く斬り込みを命じられた。
伝令も、同文書を複数人に持たせ、そのうち1人がたどり着けばよいという状態であった。
末期になると、直接軍組織に編入されていた彼らの中には、大人の兵士と同様に戦陣訓[17]を使って捕虜にならないように命令され自決したものもいた。


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