安倍さんが撃たれた瞬間に薄れゆく意識の中で思っていたであろうことat POVERTY安倍さんが撃たれた瞬間に薄れゆく意識の中で思っていたであろうこと - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト100:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 23/08/23 12:02:11.15 40bssV5UH ザイール・コンゴの涙・・・・・・・・・・2 1476年、ディオゴ=カンがコンゴ王への、最初の西洋人の謁見が許され、以降ポルト ガルとコンゴは、次第に、経済的・文化的・宗教的な 結びつきを強めていきました。 初期においてのころの、関係は対等で、大変良く、様々な技術者がコンゴに渡って技術 を伝授し、コンゴからは留学生が、ポルトガルで学習するなどしている。コンゴ王ヌジ ンガ=ムベンバは、キリスト教の洗礼を受けたし、ドン=アフォンソ1世と称するほど であった。しかしながら、欧州社会での黒人の地位は、当初からペットや家畜の位置付 けで、単にアフリカ社会に対して、猿の惑星同等に、家畜の社会に入った様相であった 事と同じに、へりくだっていたのみだった。このドン=アフォンソ1世のの洗礼を皮切 りに、ポルトガル商人による奴隷貿易がスタートした。西洋社会に黒人と言う人間が、 いる事が知れ渡った時であったのだ。当初は、試験的に始まった交流と奴隷商売だった が、それが大きな富を生むことが分かると、ポルトガル商人は奴隷貿易目的でコンゴに 先を争う様に、来訪するようになっていった。ポルトガル商人達は、コンゴの商人に、 兵器・武器を売り捌き、商人は、傭兵を雇い地方の村落に攻め込ませて奴隷を確保し、 ポルトガル商人に売り渡すと言う蛮行が常態化する。この奴隷狩りによって地方は荒れ 放題、アフリカは混乱していき、事態を憂慮したドン=アフォンソ1世は、ポルトガル 王ジョアン3世に、たびたび奴隷貿易の中止を求めた。だが、そのたびに無視されてし まった。当然であった。ポルトガル王もバチカンでも、この異種文化の破壊と、奴隷に よる収益と人々の無償の召使いに、喜々として受け入れて、黒人=物言う家畜という、 設定が公然と宗教説明や国の法にのる環境にいたからだ。失意の中でドン・アフォンソ 1世は死去し、その後は、奴隷貿易は、ますます盛んになり、コンゴ王国は衰退の一途 を辿ることになっていった。実は、ザイールコンゴなどは、既にあったモロッコやガー ナなどの先行奴隷の、後に浸食されて行く土地であったのだ。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch