23/07/18 15:38:04.77 QkpQ/8uTM●.net BE:884040186-2BP(2000)
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「どうして岸信介を外務大臣にしたのか」安倍晋三の祖父を「天皇が嫌っていた」理由…「戦争責任の重大さは東條以上」
(中略)
昭和天皇の怒りの理由
「どうして岸信介を外務大臣にしたのか」安倍晋三の祖父を「天皇が嫌っていた」理由…「戦争責任の重大さは東條以上」
当時、60年安保は議会で審議中だったのだが、岸首相は与党勢力が多数派であることを利用して、強引な議会運営を始めていた。安保条約の内容についても、野党の質問により次第に綻びが出てくるなど、極めて杜撰な対応であった。
「安保反対、岸を倒せ」というスローガンに、国民の意思は次第に集約されていった。岸は、そういう国民の反対を「共産主義者の煽動」呼ばわりするなど、強引に対抗しようと画策していた。
岸の前の首相である湛山は、健康を害してわずか60日余で退陣するが、最大派閥を動かしている岸が外務大臣であり、次期首相は岸にすんなりと譲ることになった。
ただし湛山と岸の政策はまったく異なっていて、分かりやすく言えばハト派とタカ派の違いとも言えた。岸の強引な政治手法に、湛山は我慢ならなかったのだろう。そこで書いた私信であったのだ。
そこにはこう書かれていた。湛山が首相になり、閣僚名簿を「ある一人の人」に見せたのだが、その人は名簿を見て、次のように言ったというのだ。
「自分はこの名簿に対して只一つたず�