正論「それでも私は消費税増税に賛成です。」at POVERTY
正論「それでも私は消費税増税に賛成です。」 - 暇つぶし2ch199:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
23/04/09 02:12:35.43 RzQpE800P
黒田氏が退任した、私は彼は頑張ったとは思う。、しかし、残念ながら日本の本質を変えるに至ってない。
それどころか、異次元緩和として国際買上げをした。買い上げが悪いとは言わないが一辺倒で国会や自民党に
へつらったのである。この面妖な業態はとても中央銀行の独立性など、臭くて言えないのだ。基本物価2%の
上昇を目標にするなら2%以上の国債の利子を付けなかればデフレは治らない事ぐらい国家経済論の基本だ。
これを逸脱して、今や日本の今の経済も未来の経済も後輩まかせ、子供の借金によって賄っている。恥すらずの
政治であり、財政である。今日の少子化対策などは、卑怯千万の対策で前々から解っていた事である。この子供
が増えないと言うのは、人の恒常性学習と言うのが大いに関係している。どんなに声を拡大し周知させようが、
全く対策にならない政策ではだれもなびかない。というのも、人々の暮らしは例え金持ちで、生きて来た生き様
と言う物がある。それは、技術にしても言葉にしても職業でも、そうした物が積み上がった経験値で成り立って
いる。これが生活や生活様式となると、更にそこには何らかの知恵もあってこうして生きて来たんだという自負
が成り立っている。金さん銀さんが、お金は老後の為に蓄えて置かなきゃ。と言った言葉と同じである。それが今
のほほんとして 生きて来た平成人間に平静でいられない程の物価高をしょい込ませている。物価高が悪いとは
言わない。つまり日頃から少しずつ上げて行けばよかったのだ。輸出入にも国債でも、ちゃんとまともに政策を
実行すれは、そういうもんだ。と学習する。それが恒常性の学習である。ところがそうした事をせずに税率やら
消費税に走った。全くまともでない経済政策をやった。自民党はお門違いの卑怯者であった訳である。

200:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
23/04/09 02:30:18.13 RzQpE800P
この自民党がお門違いの卑怯者であった訳には、理由がある。我が国を支配している米国の様態だ。
私は、もしトランプであったら、ウクライナ侵攻に、ちょっとぐらいは米国は立ち入らない。などと
どうでもいいような発言はしなかった。と思う。侵攻するなよ。アメリカは対抗策を用意してる。と
あられもない脅しをかけた。と思う。いわゆるデール戦争と言う奴で、大口のたたき合いであるなのだが。
それでも、戦争になるよりましであったろう。アブ八ア侵攻でもブッシュは、ちゃんと叩くべきだったし
クリミア強襲でも、ドンパス地方に空爆をすべきだったのである。それは国際批判があってもやるべきで
いままでのやり方だったのだ。それが今や、正義の使徒や世界の警察官を辞めて、督戦隊の後方者となった。
武器や兵器を売り捌き、さあさあ お前ら、勝手にやってくれ。弾薬は補助するよ、戦車はおまけだ。みたいな
事を平気でやっている。これまでのアメリカの紳士面は何処に行ったのだろうか。まるでアルカポネである。
おい。どうなってるんだ弁護士、ちゃんと裁判官や陪審員に餌やったろうな。ええ大丈夫ばっちり獲り込んで
たっぷり札束放り込んでいますから。・・って具合の国際事情だろう。しかし岸田も良く考えるべきだ。
勿論日米同盟も NATOとの接近は喜ばしいことだろうがしかし、こんなに東西対立させたら米国が火が吹く
つまり 今回のノルドーストリーム爆破のような事が 日常茶判事に日本で起こる事になるんだ。率先して出るな
すくなくとも 過ぎたるは及ばざるがごとし、出る釘は神の鉄槌が下るのは 当然である。それが自然現象だ。

201:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
23/04/09 02:46:17.76 RzQpE800P
もちろん、ロシアを擁護する気もないし、したくもない。特に日本はこれまで北方領土の交渉において
ロシアってのは個人はいいが、国として最低の国だ。って解っていたはずだ。韓国の様にゴールポストは
後ろにさげるし、中国の様に自分の好い様に歴史を改ざんし、北朝鮮の様にサラミ外交を繰り返す。極め
つけは、米英の様に大国主義を振りかざし、中東の様に 簡単に人殺しをし、暗殺軍団があんやくする。
そういう国で どうしようもない国と 解っていた筈だ。なのに相手したり敵対したりしようとするのだ
。我々が敵対すればするほど、中国・北朝鮮・ロシアが引っ付く 血の同盟とかもっともらしい外交を
見せつけるんだから、適当にあしらって、欧州をリードするなんてしなくても欧米のポチの散歩でいいのである
。もし国連の敵対条項とか 中国に対軍事力で勝り 国内法に軍事裁判所も掲げた普通の国ならいいが、
首輪も鎖もついた状態で 世界に貿易しているのだ。森永の言うような、日本はどんだけ借金してもいい
なんて吠えちゃいけないし 乗ってはいけないのである。第二次世界大戦が示すように島嶼国なのだ

202:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
23/04/09 02:50:32.15 RzQpE800P
今の 安倍や岸田政権のような 自民党の卑怯なお門違いのやり方は 核ミサイルの一つや二つを
配備して、日本海や太平洋上で 核実験でもやれる大国になってからやってくれ。と言いたいのだ

203:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
23/04/12 09:24:50.96 EXpNGFpkP
だいたいおかしいよ

204:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
23/04/12 11:08:09.58 EXpNGFpkP
    帝室論緒言 現代が日本を襲う・・・・・136

 「豚もおだてりゃ木に登る。」の、典型例だが、その豚は、樹の上から、遥かに遠い
、太陽の登る向うを見て観たかったに違い。それが明治・大正の人間の気骨であった。
気持の好い景色を見て満足だったに違いない。のである。例え枝が折れて、地上に落下
しようとも本望だったのだ。地球が平和でまともであれば。今や子育て支援が真っ盛り
である。しかし、こんなに住みやすくなった時代はない。しかし、問題はそこに不満が
あって乞食が住めない社会にした事だ。私の高校の頃は万博も終わってスパルタ弊害で
交通戦争や保険金殺人、ネズミ講など大流行の頃で、グリコ・森永事件で無差別殺人の
思想がはびこっていた。オイルショック後の社会不安が事件を作る。学生闘争で白雉化
教育の世代の新人類諸君。なんて呼ばれていた。明治人の気骨や戦前の闘争心、戦前の
教育の養生訓と「忠君愛国」の倫理は、修身道徳として広く一般に備わっていたのだ。
妥協と生き方に社会正義を問う時代だったと思う。欧米流生活で、皆んなが忘れ去った
言葉だが、教育史では、第二次世界大戦前の日本の学校に教科として設置されていた「
修身科」による道徳教育が人々を律した。とされ、多くの諸先輩はこの「修身」こそが
戦争させた原因とされ、「今の若者は『修身』が無いってない。」などと新聞のコラム
に上げでもしたら、半年はその記者は叩かれ去って行く様な根腐れ環境だった。だが、
この言葉は儒教教典『大学』8条目の「格物、致知、正心、誠意、修身、斉家、治国、
平天下」の中の「修身」に由来する個人道徳の修養を意味し、明治に移るまで、各藩に
「大学」氏なる冠たる役職や家系があるほど大事にされた 藩の素養や教養であった。
養生訓と修身訓は共に並び立つもので、「自由合本主義」を唱えた渋沢栄一すらも大事
にした。「合本主義」の合本とは、「本(もと)を合わせる」という意味で、資本主義
の説明の、「資本」「労働力」「市場」があるがこれに「救済」「福祉」の概念を入れ
た。

205:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
23/04/12 11:08:36.09 EXpNGFpkP
    帝室論緒言 現代が日本を襲う・・・・・137

 貝原益軒は、最も強く説いているのは、人生を楽しむということです。そのためには
、「怒りや欲、憂いや心配を少なくして、心を苦しめず、気を痛めない」ことが大切と
している。簡単なことではありませんが、楽しく生きることを心がけた生き方を説く。
同様に渋沢栄一は「自由合本主義」で、「本」は資本を指し、具体的には、カネ、モノ
、ヒト、知恵、資源、などが含まれます。合本主義のほかにも、渋沢は「合本組織」「
合本法」というように、いろいろな場面でこの「合本」という考え方を使って、人の命
を、活かす事、人の生活を護る事、遅れた日本が大国対抗に「殖産興業」「富国強兵」
を説いた。江戸から明治の移行期に、如何に日本の基盤を残して行くかを考えていたの
である。果たして、現代に於いて、それが出来ているのか。核家族化クルマ社会を率先
してやり出したはいいが、大阪万博後は、人々方向を見失っている。まして今回の国会
論戦の少子高齢化対策に、育児支援や学徒支援などもっての他である。そもそもが福祉
特定予算として消費税を導入する。と言う、過去の総理の言葉が全く置き去りである。
更に、GOTO事業や国民支給配布事業でわかる様に、一回税で取り配布する事務費に
約4倍の手間賃を払っている状態なのだ。政府は事業費1兆7000億円、事務の委託費と
して3000億円余りを上限に充てるとしたが、現実に配ったのは5000億、事務他キャンセ
ル費広告代、中抜き業者、旅行業者とその二倍程が抜き取られた事業であった。例えば
、話題の多い国民住基カードのマイナンバー事業費でも東京五輪事業も、持続化給付金
事業(今年度第1次補正予算分)も、一般社団法人サービスデザイン推進協議会769億円
で丸投げ委託。協議会は749億円で 広告大手電通に業務の大半を再委託し、電通は子会
社5社へ645億円で外注した。経産省のルールでは中抜きの問題も50%以上なら 自社
運営とみなすと言う危うさだ。つまり、49%以下で下請けに流せば良いというのであ
る。全く逆で、ここにかつての日本が大事にして来たモノ・ヒト・カネを大事に活かし
日本を立て直す思想は皆無である。

206:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
23/04/12 13:08:29.08 criXcGZIx
    帝室論緒言 現代が日本を襲う・・・・・138

 修身(しゅうしん)は、文字通り、「身を修めること」を意味し、1869年(明治2年
)の小学校設置から、1890年(明治23年)の教育勅語発布を経て、1945年(昭和20年)
の敗戦まで存在していた。江戸末期から明治維新を経て欧米文化を導入する上で、個人
主義や自由主義、物質主義の考えが増える中で、いかに利己的な国民を、教育指導して
国家建設のならずの者、減らすかが課題があった。周りの国がドンドン欧米列強に毒さ
れて植民地政策に奴隷になって行く原住民の中で、日本民族が如何に残るかが命題で、
江戸幕府も明治新政府も、悩んでいた。内部から売国が起きれば日本は欧米の植民地に
なりかねない時代である。先進技術は欲しいが西洋列強の奴隷の傀儡国はなりたくない
。その意思で埃を叩いて出てきたのが、「修身」と言う精神教育の心得だったのである
。敗戦と同時に、これに興味を持ったCHQに忖度し、日本政府は危険思想と見られる
事を恐れて、修身は廃止させます。天皇からの直接的な教えである、滅私奉公・無私・
利他の精神、などが羅列された美徳を育む「修身」は、戦勝国からすると脅威でした。
日本は、敗戦後のGHQとソ連コミンテルンの工作で、日本人的精神は完全に骨抜きに
されてしまいます。良くも悪くも、日本人は勤勉家であり、短い期間で文化回復を作り
上げる能力があった。と言えるでしょう。それこそ修身の精神論がこそにあったからで
あった。今や、外国人が感じる 日本の素晴らしい文化である、食生活・行儀作法やら
アニメ仕様や音楽的リズム感性や美の感性は、ここに元素があったのではないかと思わ
れる。修身の始まりは明治維新直後の、西郷の学制の開始とともに始まりました。近代
路線での学校教育は西洋の科学・教育を受容することでしたが、新しい学制の中心に、
「修身」が置かれ、儒学的伝統を継承する内容が盛り込まれた。

207:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
23/04/12 13:08:59.84 criXcGZIx
    帝室論緒言 現代が日本を襲う・・・・・139

 日本の近代教育は、始めから西郷隆盛の目指した、薩摩の「郷中教育」からきて国の
お抱えの兵役制度の導入から来ている。「郷中教育」は、豊臣秀吉の朝鮮出兵時、出兵
した武士の留守中、青少年の風紀が乱れたため、留守居役の家老たちが考案した青少年
教育システムであると言われており、英国で発祥した「ボーイスカウト」の原型とも、
いわれている。いわゆる日本の真似をして「ボーイスカウト」を創ったのである。が、
この郷中教育も実は、信長以前に薩摩にはびこったカトリックのセミナリヨ制度からの
物真似で、日本神道精神や儒教の教えにあった形に変形したものと言われる。セミナリ
ヨは、歴史用語で、イエズス会によって日本に設置され、1580年~1614年の間に存在し
たイエズス会司祭・修道士育成のための初等教育機関(小神学校)のこととされている
。もともと日本の方針は、流入文化を咀嚼して日本流に変える能力は備わっていた。い
わゆる「和魂洋才」で、明治政府も、そこに壁を開く事を目指していた。1869年(明治
2年)に、小学校が設置されたた。小学校には、「国体時勢ヲ辨エ忠孝ノ道知ルヘキ様
教諭シ、風俗ヲ敦クスルヲ要ス」(国体と時勢をわきまえて、忠孝の道を知るべき様、
教え諭し風俗をより良くすることが必要だ。)、にという維新政府の指示のもとで設置
されましたので、修身はとても重視された教化だった。1872年(明治5年)に、学制、
およびそれに伴う太政官布告が発布され、大きく洋学化に舵をきり、儒学ではなく実学
を取り、欧化技術を修める事に舵が切られる。「修身」が科目として置かれ、小学1年
から「修身口授」の形でスタートした。

208:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
23/04/12 13:09:24.52 criXcGZIx
    帝室論緒言 現代が日本を襲う・・・・・140

 この頃の日本の指導者の精神は、「一定の学制を布て国民を一様に教育せんとするは
…国家開明の最も害とする所なり。」と、画一教育によって人民を「操人形」のように
してはいけない。と、考えていて、現代の指導者より、よっぽど日本の将来のことを考
えておられたのではないかと思います。そして、大日本帝国憲法の59条にも「日本人
民は、何らの教授をなし、何らの学をなすも、自由である。」と、定められています。
福澤諭吉曰く、「そもそも、日本の文化とは、日本人が他国に向けて『我々は日本人だ
』という、主張をするために生まれた。と考えられおり、主に日本の江戸時代の終わり
から明治時代に浸透していた。」日本文化とは何か?というのを明確にしたのは、福澤
諭吉で、日本の最高額紙幣の顔になる程の功績は、以下にあると思います。奇遇にも、
福澤諭吉は、日本の鎖国が終わった江戸時代に、学問の研究のためアメリカやオランダ
の博覧会に参加するために、渡欧した。道中に、香港の植民地の実態を目の当たりにし
て、イギリス人が中国人を犬猫同然に扱うことに、強い憤りと義憤の衝撃を受けている
。坂本龍馬と同じである。福澤諭吉は、早く欧州の文化や先進的な技術に触れ、日本国
固有の文化を守って、継承していくためには、欧米諸国に認められるものを発信しなく
てはいけない。と考えた。その後、福澤諭吉は、日本に帰国してすぐに慶應義塾大学を
創設し、多くの著書を出版する。明治時代の政治や海外で実際に体感した知識を広めて
、一方で、茶道、日本舞踊、華道、能楽、陶芸などの日本古来の伝統工芸の保護を謳っ
たのである。これらが現代社会にも残ってるのも、日本の伝統芸術を残さなければ、と
考えた福澤諭吉の影響がある。これは福澤諭吉のみではなく。文人画家富岡鉄斎など、
中国の状況を知る多くの知識人が、そうした中に脱兎のごとく明治時代を生きていた。

209:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
23/04/12 13:10:45.33 criXcGZIx
    帝室論緒言 現代が日本を襲う・・・・・141

 福澤諭吉といえば、学問のすすめですが、機会なので、彼の「脱亜入欧論」を書く
「欧羅巴政学家の説に、凡およそ文明の政治と称するものには六ケ条の要訣ありと云え
り。即ち左の如し。」 第一条 自主任意 (要旨1 自由主義の尊重)
「国法寛にして人を束縛せず、人々自みずからその所好(このむ)ところを為し、士を
好むものは士となり、農を好むものは農となり、士農工商の間に少しも区別を立てず、
固もとより門閥を論ずることなく、朝廷の位を 以もつて人を軽蔑せず上下貴賤各々、
その所を得て、毫ごうも他人の自由を妨げずして、天稟(てんぴん)の才力を伸べしむ
るを趣旨とす。但ただし貴賤の別は、公務に当あたりて朝廷の位を尊ぶのみ。その他は
四民の別なく、字を知り理を弁じ心を労するものを君子として之これを重んじ、文字を
知らずして、力役(りきえき)するものを小人とするのみ。本文、自主任意、自由の字
は、我儘放盪にて国法をも恐れずとの義に非らず。総てその国に居り、人と交て気兼ね
遠慮なく自力丈け、存分のことをなすべしとの趣


210:意なり。英語に之を「フリードム」又は「リベルチ」と云う。未だ的当の訳字あらず。(自由とは、国の法が寛大にして人を縛らず、人々が好きに職業を選び、士農工商に壁を立てない事で、派閥門閥を言わず、天皇すらも人を軽蔑しない身分制度であることだ。わずかで生きる人さえ大事にし、自由に生活させて、才能の門戸を開き、国の力と、為すべきである。但し公務においては、天皇尊ぶ者を置くべし。その他は区別なく文字を知り、理論を述べる者を君子として重んじて、文字を知らぬ者を小さき者とせよ。これが自由というものだ。ただし、これは自主独立の精神で我儘放蕩の勝手し放題の意味ではなく、気兼ねなく人が交わり、やるべきを存分にやらせて生活させる世界である。)



211:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
23/04/12 13:40:18.95 criXcGZIx
   第二条 信教     (要旨2  国教の選定 )

 人々の帰依(きえ)する宗旨を奉じて、政府よりその妨(さまた)げをなさゞるを云いう
。古来、宗旨の争論よりして 人心を動揺させ、国を滅し人命を害するの例 尠(すく
な)からずあり。英国にても、ハノオーフル家(ハノーファー選帝)の世に至てより、
以来は、専ら「プロテスタント」の宗旨を奉じ、一時は、国内に令を下して他宗を禁じ
たれども、阿爾蘭(アイルランド)人の如ごときは、古来天主教(キリスト教カトリック)


212:を信じて、政府の命に服せず、由よりて又法を改め、宗門は人々の意に任すべし。と、定めたり。然(しか)れども、政府は固(もと)より「プロテスタント」を奉ぜしめん。とする意なるが故に、或(ある)いは、大(おおい)に、その寺院を建立し或いは他宗の教師を擯斥(ひんせき)して「プロテスタント」の教師に、大禄(たいろく)を与うる等のことありて、動(やや)もすれば人心に戻(もと)り、又、近来は一法を立て、国政に関る大臣は「プロテスタント」宗の人に、非(あら)ざれば才徳ある者と雖(いえど)も 擢用(たくよう)することなし。右等の故を以て、天主教に帰依する者は 家を挙て、他国へ移住すと云う。是(これ)即(すなわ)ち政府にて信教の趣意を失する一例なり。(人々の、信じる処の主旨は、時に政府の方針と違って妨害されることがある。昔からそうした宗教論争は、人を扇動や動揺を起こし、人を殺し国を滅亡までさせた例がある。欧州でもハクスブルク家や、英国のハノーファー朝時に、プロテスタントとカトリックの戦争でカトリックを禁じたが、以来アイルランド人が政府に反抗した。そうした事で法として、プロテスタントの教会を応援し、神父に大きな給与を与えるなど、汚職になるような事をした。又、最近ではプロテスタントのみの任官をして、才能があっても政府雇用がないほどなので、カトリック信者は国外に立ち去って行く程に政府は、国の宗教を護っているのが現状である。



213:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
23/04/14 23:42:39.07 CSnNxergB
また岸田首相は、チョンボした。これで失政策5回目である。スイフト、サハリンガス、身内秘書、大臣不祥事
安倍葬儀、統一教会がらみの宗教政策 外交外遊 軍事装備問題・・・・数えてあげればキリがないくらい失政続きである。
これに 日本の立ち位置、と歴史的経済的許容から外れているのが 4つある。そして五つ目がこの大阪IR認可方針だろう
。なぜ認可するのを長崎にしないのか。大きな間違いだろう。大阪は今でも華僑や朝鮮の縄張り争いの場所だ。
IRをやるほど 素直な街ではない。できればどっかの島や沖縄の米軍基地なんかに持っていきたいくらい馬鹿娯楽だ
。暗黒街のはびこるこの IR消費が、フィリッピンの経済を他のタイ・ベトナム・マレーシアなどと比べ
大きく頭打ちにさせているのは、工場誘致や、国民総生産から見ても充分理解できるはずだ。歴史的にも
例えば、東南アジアで、第一経済が発展したのはラオス・カンボジアであった。観光審に恵まれベトナムの様な
破壊の都市が少なかったからだ。ところがどうだ。中国が、債務の輸出し、その後IR進出して萎んでしまい
今では、ミャンマーの様に内戦しないでいるのが やっとの事だ。そのあおりで隣のタイが何回も民主化行動で
デモが起こっている。如何に賭博に罪があるのか 解ろうというものだ。出来れば繁栄したくない娯楽場所だ。

214:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
23/04/14 23:44:08.48 CSnNxergB
まっ 敢えて、原子力政策と高市発言問題は 外すけど。

215:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
23/04/14 23:51:05.87 CSnNxergB
    帝室論緒言 現代が日本を襲う・・・・・143

 第三条  技術文学を励まして新発明の路みちを開くこと。
 第四条  学校を建て人才を教育すること。
 第五条  保任安穏(ほにんあんのん)
政治一定して変革せず、号令必ず信にして欺偽(ぎぎ)なく、人々国法を頼み安(やす)ん
じて産業を営むを云う。譬(たとえ)ば、或は国債を償(つぐな)わず、或は通用金の位を
卑(ひ)くくし、或は商人会社の法を破り、或は為替問屋の分散する等、皆、その政治に
保任の趣意を失うものなり。現今仏蘭西(フランス)帝所有の金を英国の為替問屋へ預け
しと云うも、その制度の固くして頼むべき所あるの一証なり。

 政治に変動や変革は禁物である。号令たる法の執行には必ず、疑義の安否を晴らして
行うべきで、人々が国を信頼し、安堵して、安穏と暮らせる事が、産業の基盤であるの
で、その営みに邪魔になってはいけない。それは例えば、借金財政であったり、借金の
支払いを怠ったり、借りた分の利子を交渉したりしては、信用を無くすのである。商人
から借りるのであれば、商人の法をまもり、銀行を整理したり、統合させたり、解散を
命じたりは、決してやってはいけない事だ。そこで無くす信用や社会不安は、大きな物
で決して軽くみてはいけない。(古来よりフランスでは、テンプル騎士団はれっきとし
た修道会であった。1147年の第2回十字軍に際しては、フランスのルイ7世を助けて、
奮闘した。十字軍の終了後、ルイ7世は騎士団にパリ郊外の広大な土地を寄贈しここに
テンプル騎士団の西欧における拠点が建設された。しかし、このテンプル騎士団の破滅
は突如として訪れて、13世紀の終わり、中央集権化を進めるフランス王フィリップ4世
(美男王)は財政面で行き詰まり、幾度も騎士団の援助を受けていたにもかかわらず、
自らの当時もっとも勢力のあった2つの騎士団、テンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団を、
合併し、自らが指導者の座について聖地を再征服する夢をもって、破滅させるのである
。その後貴族の大臣達は、フランス資金をすべてにイギリスに移してナポレオンを輩出
させたのであった。

216:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
23/04/15 00:42:48.95 2C6592Pgg
    帝室論緒言 現代が日本を襲う・・・・・144

 少し詳しく言えば、その後フィリップ4世は、腹心のギヨーム・ド・ノガレの策に、
したがった。1296年にバチカンの教皇庁への献金を禁止し、通貨改鋳をおこない国内の
ユダヤ人をいっせいに逮捕、資産を没収した後に追放する。こうしてまとまった資産を
手にして、次に目をつけたのが裕福なテンプル騎士団の資産の乗っ取りであった。当時
のフランスは戦争ばかりで、イギリスとの戦争の敗戦によって多額の債務を抱えていた
。これをテンプル騎士団に敗けの責任として出させて、最大の借金出来る相手にしてい
た。その為に、テンプルへの債務の帳消しをはかってテンプル騎士団の壊滅と資産の、
没収(略奪)を計画し実行した。フィリップは、王の持つ聖ヨハネ騎士団との合併を、
テンプル騎士団総長ジャック・ド・モレーに持ち掛けたが、これは即座に拒絶された。
そこで王は怒って、テンプル騎士団の資産をどう没収するかを検討させた。そもそもが
何の罪もない人々を一般的な裁判形式で裁いても有罪の立証に持ち込むことは難しい。
そこで、匿名の偽称証言を創り「異端審問方式」を用いることで有罪に持ち込もうと考
えた。異端審問を行うには教皇庁の認可が必要だが、当時の教皇は、フランス王の意の
ままに動くフランス人のクレメンス5世であったので、何の問題も生じず公開裁判と公
開処刑に至る。こうしてテンプル騎士団を入会儀式における男色(ソドミー)行為、反
キリストの誓い、悪魔崇拝といった容疑で、起訴し、1307年10月13日、フィリップ4世
はフランス全土で、テンプル騎士団の会員を何の前触れもなく一斉に逮捕。異端的行為
の罪で100人以上の不当な罪を「自白」するまで拷問を行い異端審問において 審問官は
すべてフランス王の息のかかった高位聖職者で、特権を持ったテンプル騎士団に敵意を
持って騎士団は異端の汚名を着せた。

217:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
23/04/15 00:43:15.00 2C6592Pgg
    帝室論緒言 現代が日本を襲う・・・・・145

、資産は聖ヨハネ騎士団へ移すこと、以後の活動を全面的に禁止することが決定され、
。裁判では、拷問によって自白した内容を覆した場合、求刑された終身刑やより苦痛の
少ない処刑を、異端として火あぶりの刑に変更すると脅され、多くの被告は自白を覆さ
ず刑に甘んじた。火刑に処される騎士団員は、凡そ本物の騎士団で、国際金融の外貨の
帳簿者だった。テンプル騎士団は、12~13世紀にかけて国際金融業務を行なっていたの
である。当時のフランスの輸出入管理は、彼らの帳簿に任せられて公平にあったのだ。
初期から櫃型の金庫に金を保管し、騎士団による安全管理が 信用を呼んで顧客を集め
、預かったものは貨幣以外に宝石、貴重品、証書類もあった。いわゆる預金業務に加え
、寄託された資産の運用も行い、高い信用で業務が拡大した。depots irreguliers(減
価償却)と複利計算は、フランス王室の財政に取り入れられて、役人たちもテンプル騎
士団に口座を開設した。所謂投資貯蓄である。イングランドやスペインのテンプル騎士
団も口座の管理を行ない、ローマ教皇も法王庁の口座を開設した。高い信用を得た騎士
団は、顧客間の契約の保証人となったり、口座振替を利用した定期振込なども行なった
。テンプル騎士団がイタリア商人と行った取引は、イタリア海港都市が内陸に進出する
ための手段でもあった。ジェノヴァやヴェネツィアなどの都市国家は、内陸での組織網
は持っていなかったために、ヨーロッパ内陸と西アジアで活動する テンプル騎士団の
協力が何よりも大事だった。変動しない外貨会計の両替相手だったのだ。この為イタリ
ア商人は十字軍への貸付も行い、テンプル騎士団はイタリア商人と十字軍の仲介役とも
なっていた。イタリアへの支払い期日はシャンパーニュの大市の市日、支払い場所は、
パリ政庁として十字軍に貸付された。こうして現金移送のリスクを回避し、為替取引の
利潤と利子や手数料を得ることを意図して、今の銀行業務を確立させていた。

218:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です
23/04/15 00:45:28.90 2C6592Pgg
    帝室論緒言 現代が日本を襲う・・・・・146

 現存するテンプル騎士団の会計帳簿は、縦33センチ・横11.5センチの羊皮紙が8枚で
あり、ラテン語で記帳された現金日記帳である。多種類の帳簿があったとされているが
、現在確認されているのは11種類ある。(1) 王の帳簿(王への振込)、(2) 大きな帳簿
(主要な顧客)、(3) 新しい小さな帳簿(主要顧客に準ずる特定の顧客)、(4) 古い小
さな帳簿、(5) 債務者の帳簿(顧客の債権債務)、(6) 兄弟達の大きな帳簿(フランス
各地のコマンドリーからパリへの振込記録)、(7) 皮革で覆われた帳簿(コマンドリー
への振込)、(8) 古い帳簿(特定の金融業務)、(9) 兄弟達の小さな帳簿(パリのテン
プルへの振込)、(10) 抵当に関する小さな帳簿、(11) 遅れた振込の参照記録である。
多数の帳簿が必要とされた理由としては、資産運用( depots irreguliers )の状況を
多数の顧客に通知する際に効率がよかったためと推測される。各口座の抜粋は年3回、
作成されて顧客に送られ、帳簿の内容は定期的に監査された。まあ日本の年金定期便の
ような連絡システムまで備えていたのである。つまり、(1) は国家会計の帳簿であり、
(2)は高級資産家、つまり貴族や大臣、小公国の帳簿である。(3)は一般の支出入の帳簿
である。(4)(5)は恐らく過去からの損益資料であり、信者の顧客資料である。つまり、
投資家や一般顧客が死亡して残った資産と現資産の分離である。(6) は自分達の経営の
損益で、明快に預かり資産と騎士団経費とは分けていたのだ。(7)(8)(9)(10)は 他国や
他の支店や提携業務の外国や域外業務の帳簿であろう。ここに外貨が積まれていたのだ
ろう。まあ (11) にあっては、現代で言うブラックリストである。こうした近代的な、
公的銀行は、テンプル騎士団が行うまで無かったのだ。こうしてフランスは大きく潤い
バチカンも大きくなっていった。しかし、大馬鹿のフィリップ4世は、この信用を崩し
全く破壊してしまう。その為、その後の産業革命や金融革命の大国権力を無くしてしま
ったのである、資本家はイギリスに移り、金融家はスイスやベルギーに移住した。と、
福沢諭吉は諭したのである。つまり、資産を移せと言われても業務が資産だったのだ。
ところが この無理筋を日本にもやった無理筋の凶悪犯罪者がいる。竹中平蔵である。

219:過去ログ ★
[過去ログ]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch