21/06/20 21:22:06.13 n4fWxqjy0.net
戦前も一回日本では小選挙区制が導入され、その後速やかに今の中選挙区制へ
移行した。当時の政友会、帝政党もそれなりに苦労して日本独自の形を実現した。
戦後は首長選で見て明らかな通り、一挙総取りが出来るので憲法改定をしたい
自民党がずっと導入を目論んできた。これは田中内閣で一回起きている。94年の
導入決定の20年前。まさに年来の事案であった。
これには共産党を含め、社会党でも岩垂寿喜男、それから当時は自民党小泉
純一郎とか広く反対があったが、憲法改定したいという念願とあわよくば政権に
つけるかもという社会党の阿呆な願望によって粉砕された。政治が「クリーン」に
なるといった「理論的」後押しをした北大の山口二郎などがいたのも大きい。
共産党は当時すでに実質的に小選挙区制だった奄美郡区の事例を示し反論
したが「守旧派」という言葉で無視された。
今になって思えば改憲勢力の執念、社会党のだらしなさ、学者の間抜けさが
あいまって成立してしまった現象といえる。もちろんマスコミもひどかった。
そもそも小選挙区制の導入が金権政治の打破になる「政治改革」になるって
いうロジックの検証可能性が無い。それを指摘しない。
ただ、同時代を生きてきたものとして一言だけ弁護してあげたいのは、ここまで
数だけ集まった議員ばかりになることは想像できなかったという事実。首長じゃ
許されないレベルも市域より小さい小選挙区だから当選しちゃう弊害がここまで
あるとは流石に予想できなかった。