21/04/10 02:39:42.19 Jwf9P2Mz0.net
>>2>>4>>5
1988年、イラケレを脱退したフルート奏者のホセ・ルイス・コルテスが、新しいグループを作り、NGラ・バンダと名乗った。ラ・バンダの攻撃的な歌は、
特に黒人の若者に受け、ラジオのコンテストを主催した。そこで選ばれたのが、ルンバを得意とするトニー・カラと、洗練されたソネーロのイサック・デルガードである。
彼らの音楽は、ダンサブルな演奏と高度なテクニックで、ジャズでもサルサでもなく、その両方を取り入れたスタイルであった。このスタイルは「サルサ・ドゥーラ」と呼ばれ、大人気となったのである。
80年代のバンドからは、新しいソロイスト達も出てきた。NGラ・バンダからはイサック・デルガードが、アダベルト・イ・ス・ソンからはベニー・モレー以来の人気者となったパウリートFGが飛び出したのである。若手では、当時医学校に通っていたマノリンがデビュー。医師の免許を持っていることでバンド名も「エル・メディコ・デ・ラ・サルサ」とした。
90年代にキューバに進出したバンドの中で特に注目を集めたのは、なんといってもバンボレオとデビッド・カルサードのチャランガ・アバネーラだ。彼らのスタイルはサルサ・ドゥーラよりも、
もっと複雑で激しいリズムを持った「ティンバ」として流行し、今でもその人気は全く衰えていない。
バンボレオもチャランガ・アバネーラも音楽的な違いはあるにせよ、どちらも大胆なスキンヘッドのシンガーがリードヴォーカルを務め、ラップの歌詞をキューバのリズムと織り交ぜたのだった。