宮崎駿、昨今の日本アニメに苦言 「夢ではなくビジネスの手段にされた」 [401542408]at POVERTY
宮崎駿、昨今の日本アニメに苦言 「夢ではなくビジネスの手段にされた」 [401542408]
- 暇つぶし2ch374:の作品が一番好きでした。 (略) それから、十八歳を過ぎて自分でまんがを描かなくてはならないと思ったときに、自分に染み込んでいる手塚さんの影響をどうやってこそぎ落とすか、ということが大変な重荷になりました。 ぼくは全然真似した覚えはないし実際似ていないんだけど、描いたものが手塚さんに似てると言われました。 それは非常に屈辱感があったんです。模写から入ればいいと言う人もいるけどぼくは、それではいけないと思い込んでいた。 (略) 本当に抜け出せたのは、東映動画に入ってからですね。二十三、四歳です。 (略) 僕が、いったいどこで手塚さんへの通過儀礼をしたかというと、彼の初期のアニメを何本かみたときです。 漂流している男のところに滴が一本たれ落ちる「しずく」(一九六五・九)や「人魚」(六四・九)という作品では、それらが持っている安っぽいペシミズムにうんざりした。 かつて手塚さんがアトムの初期のころ持っていたペシミズムとは、質的に違うと思ってーー (略) これは先輩から聞いた話ですが、「西遊記」の製作に手塚さんが参加していたときに、挿入するエピソードとして、孫悟空の恋人の猿が悟空が帰ってみると死んでいた、という話を主張したという。 けれどなぜその猿が死ななくてはならないかという理由は、ないんです。ひと言「そのほうが感動するからだ」と手塚さんが言ったことを伝聞で知ったときに、 もうこれで手塚治虫にはお別れができると、はっきり思いました。 僕の手塚治虫論は、そこまでで終わりです。 そのあと、アニメーションに対して彼がやったことは何も評価できない。 虫プロの仕事も、ぼくは好きじゃない。好きじゃないだけでなくおかしいと思います。 (略) 一時彼が「これからはリミテッドのアニメーションだ。三コマがいい三コマがいい」とさかんに言っていましたが、 リミテッドアニメーションは三コマという意味ではないですし、その後、言を翻して「やっぱりフルアニメーションだ」とあちこちで喋るに至って、 フルアニメーションの意味を知らずに言っているんだと思ってみていました。 同じようにロートスコープをあわてて買いこんだときにも、もうぼくらは失笑しただけです。 (略) 昭和三十八年に彼は、一本五十万円という安価で日本初のテレビアニメ「鉄腕アトム」を始めました。 その前例のおかげで、以来アニメの製作費が常に低いという弊害が生まれました。 それ自体は不幸なはじまりではあったけれど、日本が経済成長を遂げていく過程でテレビアニメーションはいつか始まる運命にあったと思います。 引き金を引いたのが、たまたま手塚さんだっただけで。 ただ、あのとき彼がやらなければあと二、三年は遅れたかもしれない。 そしたら、ぼくはもう少し腰を据えて昔のやり方の長編アニメーションの現場でやることができたと思うんです。 それも、今ではどうでもいいことですけれど。
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