20/06/18 14:44:27.98 j8yK+dE80●.net BE:358195575-PLT(14302)
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あらゆる差別と抑圧に晒されている人々がいる。女性やあらゆるマイノリティ、社会的に弱い立場に置かれている人たち。
その「声」を聞くことよりも、「怒り」を受け止めることよりも、その人たちに「世の中ってこういうものだから」と強いてはいまいか。
「もっとうまく生きろ」と押さえつけてはいまいか
私たちはこの社会って「こういうもの」と諦めてしまってはいないか。Twitterは「こういうもの」、学校や職場、地域社会は「こういうもの」、
政治や社会の腐敗と不条理も「こういうもの」。
でも、そこには差別と抑圧があり、「こういうもの」を他者から不当に強いられて暮さねばならない人々がいる。
なぜ、「こんなもの」の側を変えようとはしないのだろうか。他者の自由を奪い、権利を侵害し、黙ることや服従さえも求めておきながら、そのことを許される側。
それがこの社会において、私たちが闘わなければならないものであり、批判しなければならないものであり、屈してはならないもののはずである。
「こんなものだ」と受け入れてしまったら、「変える」ことを諦めてしまったら、私たちが暮らすこの社会はいつか壊れてしまう。もう壊れ始めているのではないか。
選挙にも行かない人々。「だって変わんないでしょ」と諦めの笑いを浮かべる人々。選挙には行っても、本質的な「怒り」を持たない人々。
私が諦めたくないことは、不条理に対して声を上げること。苦しみを「なかったこと」にしないこと。私の声をかき消そうとする人たちの、悪意や「善意」に飲み込まれないことだ。
怒りは人間の原初的な、とても大切な感情。抑圧してはいけない。怒りをパワーに、きっとみんなで闘って行こう。
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