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URLリンク(ja.wikipedia.org)占領期日本における強姦
米軍による強姦[編集]
ジョン・ダワーによれば、特殊慰安施設協会設置の効果もあり、
占領軍の規模と比較すると日本政府の想定よりは強姦の発生率は
低かったが、同時に性病の集団感染も引き起こした。一例としては、
検査の結果1個師団の70%が梅毒、50%が淋病の陽性反応を示したため、
これを主因として売春施設は閉鎖されることとなった[10]。
公娼施設の廃止後、強姦の発生率は約8倍に増加し、ダワーの調査によると
RAAが活動終了した1946年以降、日本人女性に対する占領軍将兵による
強姦件数は一日平均40件から一日平均330件に急増した[11]。これに対して
ブルマは、「毎日40件以上の強姦が行われた可能性があるが、ほとんどの
日本人は、アメリカ人は恐れていたよりも規律的だと認識していただろう」
と述べている[12]。
テレーズ・スヴォボダは、慰安施設閉鎖後に強姦の報告件数が急増した事から、
兵士に対する慰安婦の提供が強姦事件抑制に一定の効果があった事を認めている。
スヴォボダはまた、一例として慰安施設の営業開始前に、待ちきれなくなった
数百人の米軍兵士が二棟の施設に乱入し、そこにいたすべての女性を強姦した
事件についても言及している[13]。 また、スヴォボダによると特殊慰安施設協会
の廃止後少なくとも二件の大規模な集団強姦事件が発生している。
記録に残っている集団強姦事件[編集]
東京都の事例[編集]
スヴォボダおよび田中の調査によれば、1946年4月4日の深夜、3台の軍用
トラックに便乗した米兵50人が東京都大森区(現・大田区)の中村病院に
侵入し、号令の笛とともに約一時間の間に女性患者40人、女性職員37人を
回姦凌辱した[14]。被害者のうち、2歳の幼女は事後床にたたきつけられ
死亡したほか、止めに入った男性職員一名が殺害された[14]。
名古屋市の事例[編集]
また、田中によると、同1946年4月11日に名古屋市の住宅街に侵入した30人
から60人の米軍兵士が地域内の電話回線を切断後、各家屋に同時に侵入し、
10歳から55歳の女性を強姦している[15]。
占領軍上陸直後の事件件数[編集]
マイケル・S・モラスキー(日本文学、日本語学研究者)によると、日本の
警察の報告を読むかぎり、強姦やその他の重大犯罪は海軍を中心に広まって
おり、横須賀基地と横浜周辺における占領後最初の数週間の犯罪件数が突出
しているが、日本本土全体では一般的ではなかった[16][17]。
上述のように、駐留米軍兵士による拉致、強姦、殺人は日本全体には波及
していないものの、警察記録と報道記録が示している通り、凶悪犯罪を犯す
兵士の多くが、1945年に日本に上陸し、最初の数週間の間に記録的件数の
犯罪行為をおこなっており、占領最初の10日間だけで1336件の強姦事件が
報告され、その後も9月一か月間の横浜市内での強姦事件は119件にのぼって
いる[18]。ダワーによれば、被害者が数人以内の場合には警察に報告すら
されなかった。[19]
北海道の事例[編集]
歴史家の高前英二、ロバート・リケッツらは、米空挺部隊が上陸後、札幌
市内において略奪、強姦、酔ったうえでの日本人への暴行などを働くことは
まれではなく、強姦被害者の中には自殺した者も少なからずいたと述べている[20]。
ロバート・アイケルバーガー第8軍司令官は、非番の兵士から女性を保護するために日本人が自警団を組織した際、第8軍の装甲車に協力を命じ、事件の首謀者を逮捕したことを記録している。しかしダワーによれば、一方で強姦事件の中には警察に報告されないものもあった。