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「LGBTは生産性がない」自民・杉田水脈議員がこれまでの寄稿で主張してきたこと
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それ以外の投稿で繰り返し出てくるのが「普通」という言葉だ。
「普通」を強く肯定する一方で、多様性に対しては否定的に感じとられる表現が目立つ。
2017年3月号の特集「『より良い社会』の泥沼」に寄せた「『多様な家族』より普通の家族」では、子供時代を振り返り、自身の考える「普通の家族」が失われることへの危機感を述べている。
子供の頃から私は「普通」というものをかなり意識していました。
好きになるもの、興味を持つものなど、「普通の女の子」からちょっと(かなり)ずれていたのです。
そんな私に母はいつも「普通ほど難しいものはない」と言い聞かせました。
母の言う「普通」とは、学校を卒業し、就職し、結婚し、子供を産み育てること。
でもそれは日々のたゆまぬ努力の上に成り立つもので決して簡単なものではないと後になって気づきました。
ところが、平成30年を目前とした現在、この「普通」を普通に語ることができない日本になってしまいました。
(「新潮45」2017年3月号 P.44より)
2018年6月号の特集「朝日の論調ばかりが正義じゃない」では、この春から道徳が教科化されたことに対して否定的な朝日新聞を批判。
ここでも「道徳教育というのは、世の中の常識や『ふつう』を教えることだ」と「普通」の概念を引き合いに出し、次のように論じている。
いま日本は「ふつう」を規定することをすごく怖れる社会になっています。
家族というものは、お父さんとお母さんがいて、子どもたちがいる。
それをふつう」の家族だというと、親がいない家庭もある、LGBTの人たちもいるのだから、”差別”になるという。
「ふつう」を規定せずに、例外の方をスタンダードにしているから混乱状態になるのです。
道徳教育というのは、世の中の常識や「ふつう」を教えることだと思います。
大切なのは、まず「ふつう」とは何かを規定して、例外も認めるということ。
世の中に「ふつう」という”定規”がなければ、何を基準にして判断すればよいのかわからなくなります。
そういう意味でも、社会はこうあるものだという「ふつう」を道徳という教科できちんと教えるべきです。
(「新潮45」2018年6月号 P.75より)