英国人「『日本すごい!』には中身がない。漆塗りや着物は中国製。伝統を自慢する人の家には畳も門松もない」 [264660287]at POVERTY
英国人「『日本すごい!』には中身がない。漆塗りや着物は中国製。伝統を自慢する人の家には畳も門松もない」 [264660287] - 暇つぶし2ch1:番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です
18/05/08 22:35:28.52 Af6sVTrL0.net BE:264660287-2BP(1000)
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中身なし、マニュアル頼み、上から目線......「日本すごい」に異議あり!
デービッド・アトキンソン(小西美術工藝社社長)
国宝などの保存修理を行う会社を経営していることもあり、行く先々で「日本文化がすごい」という声を聞く。
確かに日本文化にはすごみがある。書や華(はな)などに生涯をささげる修行者の作品は超一流。
一挙手一投足にオーラが漂い、作品には深みが宿る。日本文化の根本はその精神性、「魂」にある。
とはいえ、あまりに無邪気に「日本はすごい」と自慢する人に違和感を覚えることも多い。
あなたが自慢する当の文化に魂はあるのか、と。所詮は修行者の動作をマニュアルに沿ってまねただけの「仏作って魂入れず」。中国産漆を塗った「京」漆器。
世界遺産登録をしようとしながら糸の98%が中国産で、日本人の手先自慢をしながら仕立ての大半が東南アジアの着物......。
中身を伴っていない「文化」が多いのが実像ではないだろうか。
そう思うに至ったのには茶道との出合いがある。自宅の和室を使った趣味ができればと入門し、今では茶名「宗真」を頂き、のんびりとたしなむなどお茶との付き合いは20年になる。
茶道を選んだ理由は主に2つある。日本文化の多くは師と一対一、あるいは自己と向き合って深めるのに加えて、一つのことを極める、いわば「縦」の文化だ。
その点でお茶は違う。書、華、香、懐石、菓子、焼き物や漆器などが茶室に集う。日本文化を「横串」にできるのだ。お茶は総合芸術とよく言われる。これが魅力の1つだった。
もう1つは、書や華などと違い、客に給仕するところにある。茶道の魂は人との交流、サロンの場を作ること。この文化は非常に深い。
小さな茶室に聖地を生み出すために、先人は心を尽くしてきた。「降らずとも雨の用意」「相客に心せよ」という16世紀の千利休の言葉にその精神は残っている。
季節や客の個性などその時々に最適な場を作るために、お点前(てまえ)や茶、器といった「道具」を一つ一つ吟味する。
しかし、総合芸術を実現することは極めて難しい。1人の人物がお茶だけでなく、お花も書も極めるのはほぼ不可能。
お花はそれを極めた人にやってもらい、掛け軸に書かれた禅語はお坊さんに語ってもらう。たけている人が集まって、総合芸術となり得る。
では、今の茶道に魂はあるのか。茶会を重ねるたびに疑問は深まった。特に一度に数十人の茶席を1日に十数回、計数百人を招く大寄せ茶会は客をもてなすどころか、さばくだけの場だ。
器に込められた意味や来歴を顧みることなく、「冬だからこれ」「これは夏に使えない」と全てがマニュアル頼みで整えられる。
「聖地」にいるうちに、自分たちを日本文化の聖人、真の日本人であるかのように勘違い。
他人を「書が読めない」「お花が分からない」「今の日本人は正座ができない」とあげつらい、「今の日本は文化度が低い」と嘆く。精神を置き去りにし、目線だけが高くなったようだ。
残念なことに「上から目線」は外国人にも向かう。「正座して」「頭を下げて」「2回回して」―訪日観光客の体験の場でそんな声を投げ掛け、たまに外国文化をけなしながら、
「茶の素晴らしさ」を講義する風景はよく見られる。だが外国人は単においしいお茶を飲んで、日本との一期一会を楽しみたいのだ。魂に触れ、
その空間を味わい、粗相にならない程度に作法を押さえたいだけだ。そもそも稽古の場と、素人をもてなす場は違うはずだ。


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