17/10/03 02:50:28.08 BYaTvQNI0.net
◆「リベラル」は、ほんとうに「うさんくさい」のか?
◇「リベラル」の二つの類型
近年、「リベラル」という言葉を頻繁に目にするようになった。
その具体的な契機は、2011年3月11日の東日本大震災と原発災害だった。
以後、脱原発を掲げる社会運動が盛り上がったことは記憶に新しい。
さらに、2012年12月に誕生した第二次安倍政権が進めた特定機密保護法・安保関連法制の整備、これに対する反対運動も高揚した。
こうした状況で、安倍政権への対抗言説をまとめる言葉として「リベラル」という呼称が使われるようになった。
しかし、この「リベラル」という言葉は、なんとなく使用されるのが常である。
そこには、なんらかの共通理解があるはずだが、明確な整理はなされていないというのが現状ではないか。
現代社会において、「リベラル」という言葉はどのような意味を担わされているのか。
まずは、その使用法を二つの類型に整理してみたい。
◇政権交代可能な反自民勢力としての「リベラル」
「リベラル勢力結集」というような語り方に代表される使用法が、「リベラル」の第一類型である。
政権交代可能な二大政党制を視野に入れ、自民党政権への対抗を強く意識している。
この第一類型の起源は、昭和と冷戦が終わり、ソ連が崩壊し、日本の政界が再編期を迎えていた1990年代にある。
『朝日新聞』『読売新聞』のデータベースを見ると、「リベラル」という略称が定着し始めたのは、この時期の議会政治の場だったことがわかる
(と同時に、この時期にもやはり「リベラル」の概念規定はほとんど行われていないこともわかる)。
1993年、改憲に消極的な自民党の「ハト派」と呼ばれた議員たちが、社会党の若手議員とともに「リベラル政権を創る会」という勉強会を立ち上げた。
同年12月には、社会党の機関紙が「リベラルとは何か」を問う連続インタビューを掲載して話題になった。
こうした動向は、「リベラル勢力の結集」などと報じられ、政権交代可能な二大政党制を目指す機運とともに、「リベラル」という言葉が使われるようになる。
日本の政治用語・論壇用語としての「リベラル」は、保守のなかの革新寄り、あるいは革新のなかの保守寄りの人びとが、政権交代を目指して結集しようとした状況で、定着し始めたと言えるだろう。
その意味では、「保守」と「リベラル」は対立する概念であり、アメリカと重なるところが多い。
アメリカでは、政治・社会問題に対する個人や集団のスタンスを説明する際に、「コンサバ(保守)」と「リベラル」という対立軸を用いるのが常である。
「コンサバ(保守)」は、相対的に自由主義的経済を重視し、政府の介入の少ない社会を志向する。
政府の介入が少ないのだから、個人は「自由」を享受できるということになる。
これに対し、「リベラル」は平等志向であり、格差や不平等の是正や社会問題の解決のために政府が積極的に介入すべきだと考える。
個人の「自由」を守るために政府が介入すべきだというのである。その意味ではヨーロッパの社会民主主義に似ている。
歴史的経緯に立ち入る余裕はないが、少なくとも現代のアメリカにおける「コンサバ」と「リベラル」の対立は、「小さな政府」対「大きな政府」という対立軸だと言いかえることが可能だろう。
こうしたアメリカのモデルを踏まえて、「リベラル」勢力を結集して二大政党制を目指そうというのが、「リベラル」の使用法の第一の類型である。では、第二の類型はどのようなものだろうか。
BLOGOS(ブロゴス) 2016年08月17日 14:50
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