17/09/28 12:28:05.68 bdhcYG1OK.net
>>120
◆人間にとって悪とは何か。悪を避けるには何が必要か
政治哲学者ハンナ・アーレントがアイヒマンの裁判を直に見て行き着いたのは、ごく当たり前の「悪の陳腐さ」「悪の凡庸さ」だった。
ユダヤ人を絶滅収容所に移送する責任者だった、アドルフ・アイヒマン。彼は「無思想性」ゆえに、自分の昇進(保身)にはおそろしく熱心だった他に、動機はなかった。
アーレントによって、《無思想性》という言葉は、「想像力の欠如」に言い換えられる。
『この場合の「思想」とは、《法のもとにある普遍的な道徳》、つまり「人間は、どういうふうに振る舞うべきなのか、どうあるべきなのか」というような事』。
それについて思考が及んでいないせいで、物事を機械的に処理した。
そういう意味での《無思想性》があったおかげで、彼は「全体の方針として決まっている事」に、淡々と従う事ができた。
『彼の罪は、その無思想性に「抗おう」とせず、「考える」ことをやめた』ことで、「ナチスに服従=支持した」ことにある。生まれながらの極悪人であったわけではない。
彼には「理性がない」のではなく、「思想がない」のだ。『思想がないために、「想像力」がない』。
『「想像力の欠如」によって、自分の行いの是非について、全く考慮しない徹底した「無思想性」』。
その事実は、「誰もがアイヒマンになりうる」=「誰もが悪をなしうる」を突き付ける。