17/08/15 23:11:47.48 ingtBeE50.net
>>434
新聞には何度も立ち止まる機会は実はあった
一つは日露講和時に即時講和論唱えた徳富蘇峰の国民新聞が焼き討ちされたとき
もう一つは昭和8年に、信濃毎日主筆の桐生悠々が社説「関東防空演習を嗤う」を書いたとき
このとき、新聞が世論に阿らず正論側で論陣を張っていたら少しは歴史が変わったかも
蘇峰は「暴徒に襲われた、暴徒はけしからん」と連携を訴えたが、他の新聞は黙殺した
悠々の「嗤う」に至っては、激賞したのは一人正宗白鳥だけだったという