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- 暇つぶし2ch141:番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です
17/08/07 00:35:08.75 SZXzJ4O10.net
・第一次世界大戦後中国に21か条の要求を提出し大陸進出を進めていた
大日本帝国。これに反発する中国国民は五四運動を起こす。
日本国内では昭和金融恐慌が起こり財政的に苦しんでいた。
当時の田中義一内閣は政務次官の森恪が中心となり1927年
から1928年にかけて、3度にわたって行った中華民国山東省への派兵した。
大陸支配のきっかけが欲しかった関東軍・河本大作大佐は1928年蒋介石
率いる中国国民党と対立していた張作霖を奉天近郊で爆殺。国民党の
仕業に見せかけた。1931年、奉天北方約7.5kmの柳条湖の南満州鉄道線路上で
爆発が起き、線路が破壊された。河本大佐の後任の関東軍高級参謀板垣征四郎
大佐と関東軍作戦参謀石原莞爾中佐が首謀しておこなわれた。
1932年3月1日、元首として清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀を
満洲国執政とする満洲国の建国を宣言した。首都には長春が選ばれ、
新京と命名された。1931年9月15日に斎藤内閣のもとで政府として
満洲国の独立を承認し、日満議定書を締結して満洲国の独立を
既成事実化していた日本は報告書に反発、松岡洋右を主席全権とする
代表団をジュネーヴで開かれた国際連盟総会に送り、満洲国建国の正当性を
訴えた。1937年7月7日に北京(北平)西南方向の盧溝橋で一発の銃声を
きっかけに日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件が起こった。
この事件は支那事変(日中戦争)の直接の導火線となった。
1937年から1945年までの間に、日本(大日本帝国)と
中華民国(蒋介石政権)との間で戦争は続いた。
実業家・里見甫は1931年9月に満州事変が勃発すると、翌10月に
関東軍で対満政策を担当する司令部第4課の嘱託辞令を受けて奉天に移り、
奉天特務機関長土肥原賢二大佐の指揮下で、甘粕正彦と共に諜報・宣伝・
宣撫活動を担当する。これらの活動を通じ、中国の地下組織との人脈が
形成された。1937年11月、上海に移り、参謀本部第8課(謀略課)課長
影佐禎昭に、中国の地下組織や関東軍との太い人脈と、抜群の中国語力を
見込まれ、陸軍特務部の楠本実隆大佐を通じて特務資金調達のための
阿片売買を依頼される。1938年3月、阿片売買のために三井物産および
興亜院主導で設置された宏済善堂の副董事長(事実上の社長)に就任する。
ここで、三井物産・三菱商事・大倉商事が共同出資して設立された
商社であり実態は陸軍の特務機関であった昭和通商や、中国の
地下組織青幇や紅幇などとも連携し、上海でのアヘン密売を取り仕切る
里見機関を設立。ペルシャ産や蒙古産の阿片の売買によって得た莫大な
利益を関東軍の戦費に充て、一部は日本の傀儡であった汪兆銘政権に
回した。また、里見機関は、関東軍が極秘に生産していた満州産阿片や、
日本軍が生産していた海南島産阿片も取り扱っている。この活動を通じ、
関東軍参謀長であった東條英機、満州国総務庁次長であった岸信介・
古海忠之らと知己となり、地下人脈が形成された。


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