17/07/08 18:17:57.48 oD3DYi6R0.net
>>53
>>67
>>142
>>177
>>185
うむ
>>413
小池にも噛んでるのかよ
預言
また、その修道女は病気の治癒や奇跡と並行して、聖母像の方向から、
えも言われぬ美しい声のお告げを聞いた。
一度目は1973年7月6日、二度目は8月3日であり、内容は、
初回は修道女への同情と耳の不自由の治癒の予告、二度目は、人類への警告と要請であった。
具体的には、世の多くの人は主を悲しませていること、
聖母はそれを慰める者を望んでいること、
天主を慰める為に、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさを以って
これを償う霊魂が聖母の望みである、とするものであった。
また天主の怒りを知らせる為に、人類の上に大いなる罰が下されようとしており、
祈り、貧しさ、苦行、犠牲的行為を通じて改心して祈ることは、
そうした主の怒りを和らげることができる、とされた[1]。
1973年10月13日には、三度目の聖母からのお告げがあり、
「もし人類が悔い改めないなら、御父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。
その時御父は大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。
火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。[2]」としたものであった。
さらに聖職者同士は対立し、聖母を崇敬する司祭は同僚から侮りを受け、
これ以上罪が続くならもはや罪の赦しはなくなる、とされ、
最悪の時には御子の印とロザリオだけが、クリスチャンに残された武器である、とされた。
ゆえに犠牲を捧げ、熱心に祈りなさい、と聖母は言った[3]。
また、他に修道女は天使を何度も目撃し、6月29日には天使は彼女にファティマの祈りを教え、
ロザリオの各連の後に付けるように、と指導した。
この祈りは、1917年にポルトガルのファティマで3人の少年少女を前に
聖母が教えたものだったが、当時は日本ではまだ和訳されておらず、
天使が教えたその祈祷文は、後に和訳されて日本に広まるものと
一字一句違わぬものだった[4]。